[2022年10月30日]
偏差値とは、平均を50として、標準偏差を使って平均からの乖離を計った値だ。
高校受験では、多くの道府県では、ほぼ全ての高校受験生が母集団となるため、偏差値50は、まさに世の中の平均に近くなる。
ただ、東京都の場合、成績上位層を中心に都平均で上位25%が中学受験で抜けてしまうため、東京都における偏差値50は、地方の偏差値50よりも、かなり学力的には低いと認識された方がよい。
尚、高校受験における偏差値は、W合格もぎか、V模擬を想定して説明する。
一方で、
中学受験では、都道府県にもよるが、東京都であっても、母集団は同一学年の中学受験生の25%〜30%程度でしかない。しかも、学力上位層が中心となるため、おもに学力上位25%〜30%が母集団となる。
尚、中学受験偏差値は、幅広い成績帯の中学受験生が参加する、しゅともし(首都圏模試)の合判模試(学力試験型模試)偏差値を前提に説明する。しゅともし適性検査型模試の偏差値ではないので、お間違えのないようにお願いしたい。
ここからは、単純化するために、学力上位層30%がもれなく中学受験をし、学力下位70%は中学受験をしない、ということにしよう。
その場合、偏差値50は、学力上位15%くらいの位置となる。
学力上位15%というのは、点数的には学力上位30%の、ちょうど真ん中にはならない。分布の裾だけを切り出すと、分布が正規分布しないことから起こる。
学力上位層は学力が高くなるほど人数が極端に少なくなっていくから度数が極端に少なくなり、上位層の中における下半分は、学力が低くなるほど人数が急に多くなるから度数が格段に多くなるからだ。
つまり、偏差値50程度以下の偏差値帯にいる人は、ライバルが狭い範囲にひしめくので、模試ごとのちょっとした得点の変動で偏差値が大きく変動することになる。
一方で偏差値50よりも大幅に上の偏差値帯にいる人は、特に偏差値65付近以上にいる人は、ライバル数が少ないから、少しのラッキーやアンラッキーな得点のばらつきくらいでは、模試ごとの偏差値は大きく変動しない。
平たく言えば、上位層は人数が少なく偏差値は振れ幅が小さくなり、中位層は人数が多いため変動幅が大きくなる。
都心のいくつかの区などを除けば、中学受験をする比率は、高くても概ね30%となるから、この前提で、ほぼ実態を近似できるであろう。
偏差値50は、地元公立学校における学力上位から15パーセンタイル付近の位置になるので、ちょっとくらい学力優秀な程度では、中学受検偏差値は50を越えられない。
学業成績が、学校でまさに真ん中くらいだと、偏差値は、良くて35くらいにしかならない。
偏差値は、母集団が大きく適切な難易度や量の問題で構成されれば、概ね25〜75の範囲で計測される。
やたら難問で、ごく少数だけが正解し、残りは全員が不正解とかでない限り、偏差値80以上は滅多に計測されない。逆に適切な模擬試験であれば、0点やほぼ0点でも偏差値0にはならず、20〜25くらいにはなる。
学業成績が、学校で真ん中よりは少し上では、偏差値は35から40くらいにしかならない。
学業成績が、学校で真ん中よりかなり上でも、偏差値は40から45くらいにしかならない。
学業成績が、学校で上位層に入るくらいでは、偏差値は45から50くらいにしかならない。
学業成績が、学校で明確に優秀層の一角でも、偏差値は50から55くらいにしかならない。
この偏差値50〜55の辺りから、都立中高一貫校の合格者が出始める。しかし、合格するのはごくごく一部でしかなく、ほとんどは不合格となる。
学業成績が、学校ではトップを争う学力優秀者であれば、偏差値は55以上になってくる。
この辺りから、都立中に合格できそうな雰囲気が感じられるようになる。しかし、まだ、圧倒的に不合格になる可能性の方が高いままとなる。
学業成績が、学校でしばしばトップとみなされるような学力優秀者であれば、偏差値は60を超えてくる。
どこかの都立中には合格できそうな風格が感じられるようになる。ただし、合格者が不合格者を有意に超えるまではいかない。
学業成績が、学校で圧倒的なトップとみなされるような学力優秀者であれば、偏差値は65を超えてくる。
どこかの都立中に合格できるに違いないと、周りからみなされるようになる。しかし、合格できるのは半数くらいにしかならない。
学業成績が、学校で天空人とみなされるような学力優秀者であれば、偏差値は70前後を超えてくる。
難易度が中堅の都立中なら合格できる可能性が高くなる。難易度が上位の都立中でも合格できる可能性がでてくるが、挑んだがために惜しくも残念になる人が多く出る。
学業成績が、学校で神の領域にあるとみなされるような学力優秀者であれば、偏差値は72〜73を超えてくる。
難易度が上位の都立中であっても合格できそうな雰囲気が漂い出す。難易度が中位以下の都立中であれば、合格率が不合格率を有意に上回りだす。
しかし優秀な人ほど自分を過小評価するから、不合格の不安からは逃れられない。難易度が中位や下位の都立中であればまず合格できるであろうことを悟るが、そこはプライドが許さない。凡人には理解しずらい悩みと向き合うことになる。
ところで、
親による子への愛情は計り知れない。
その愛情が、時に、子の可能性を無限に解釈することを正当化してしまう。
少し勉強が得意なくらいでしかないのに、偏差値60くらいは取れるはずだと勘違いする。
平均+10ポイントの自己評価となるが、実態は平均−10ポイントでしかない。
勘違いは、偏差値に換算すると、20ポイントにも達する。
偏差値50をはさんで±10ポイントの範囲に収まる人は、言い換えれば偏差値40〜60の範囲に入る人は、正規分布表の密度関数から、母集団の約68%となる。
つまり、偏差値40の人が、偏差値60になるためには、全受験生の3分の2の人数を追い抜かなければならないということだ。
偏差値40の人が偏差値50になるには、全受験生の3分の1の人数を、約34%の人数を追い抜かなければならない。
さらに、
偏差値50の人が偏差値60になるには、全受験生の3分の1の人数を、約34%の人数を追い抜かなければならない。
これは偏差値60の人が、偏差値70になるのとは、大きく違う。偏差値を60から70に上げるためには、約14%の人を追い越せば済む。
もっと言えば、偏差値65の人が、偏差値70に到達するためには、約5%の人を追い抜けばよい。
偏差値70以上は、最上位の約2%の中での闘いとなる。
全受験生を同一学年の30%とすれば、そのうちの2%というのは、地元公立小学校における同一学年の最上位0.6%となる。
1,000人のうちの上位6人、500人のうちの上3人、100人うちの0.6人だ。偏差値70以上になる中学受験生というのは、地元公立小学生では200人に1人くらいとなる。
勉強が苦手ではないくらいで、偏差値60を超える学校を志望校にすえることは、あるいは、偏差値60越えを目指すことは、
もはや、勘違いの領域を遥かに超えて、
完全なる錯誤か、完全なる誤謬となる。
ここで、親の狂気が、炸裂する。
偏差値が振るわない原因は、子にあるのではないと、思いたがるようになる。
塾が合わない、講師が合わない、テキストが合わない、カリキュラムが合わない、模擬試験との相性が悪い、問題との相性が悪い、通塾曜日が合わない、通塾時間が合わない、塾生が悪い、塾友が悪い、講師の教え方が悪い、講師の指導が悪い・・・。
子は悪くない。
親も悪くない。
周囲が悪い。
環境が悪い。
制度が悪い。
世間が悪い。
社会が悪い。
国家が悪い。
世界が悪い。
人類が悪い。
宇宙が悪い、と。
もはや、悲劇でしかない。
いや、喜劇かもしれない。
「2月の敗者」となって、やっと己の勘違いに気がつく。
しかし、
「2月の敗者」となっても、その結果を受入れられない。
高校受験でも、また勘違いを発揮する。
大学受験でも、また勘違いを発揮する。
就職活動でも、また勘違いを発揮する。
社会生活でも、また勘違いを発揮する。
どこで、現実を受け入れるのだろうか。
現実を受け入れることができたなら、
適切な道を選べたかもしれない。
早く幸せになれたかもしれない。
幻想としての偏差値に苦しむか、
幻想としての偏差値を活かすか、
それは、子をどう評価するかによる。
親の狂気、
それは、どこまで行っても狂気でしかない。
それは、いつまで経っても狂気でしかない。
狂気が、正気に、なることはない。
狂気を抱えたままでは、幸せにはなれない。
狂気を捨てる覚悟が、あなた親子に、幸せをもたらすのだ。