[2023年10月16日]
しばらく沈静化していた中東問題が、にわかに緊迫の度を増している。
パレスチナ問題と呼ぶべきか、イスラエル問題と呼ぶべきか、かつてはユダヤ人が住み、その後はパレスチナ人が住み、そして第二次世界大戦後にまたユダヤ人が戻ってきたこの地域で、ともに自らの地だと考える人たちが支配地域を奪い合う構図には、妥協点も解決策も見当たらない。
国連はイスラエル建国を認めたが、パレスチナや中東イスラム諸国は、その当初からイスラエル建国を認めていない。
ヨルダン川西岸とガザ地区にパレスチナ人が安心して暮らせる地を用意しようとしたが、パレスチナ人もイスラエル人(ユダヤ人)も納得していない。
中東情勢の専門家でさえ、この問題には解決策も妥協点もないことを認めている。つまり、これから起こるであろう紛争には、残念ながら互いに納得できる「落としどころ」はないのである。
これは、ミヤンマーのロヒンジャ問題や、ウクライナの領土問題(東南部の親ロシア派地域やクリミア半島)などにも共通する部分がある。双方が納得できる「落としどころ」が見つからないからである。
こうした問題は、世界中にあると思われ、ただ注目はされていないから認識されていないだけのことが多い。
ほとんどの人は、己が抱える問題や課題の解決や改善だけで、精一杯でもある。おそらく多くの人は、この中東情勢の悪化を、原油高や物価高や景気悪化など、間接的な懸念や問題として感じ取るであろう。
解決策も妥協点もない問題や課題は、地域紛争や国際紛争に限られたことではない。
環境問題や貧困問題や格差問題の多くには、実は解決策も妥協点もないことが多い。そう認めたくはないから、絶望したくないから、解決策や妥協点があるかのようにふるまい、解決策や妥協点があるかのように、問題に対峙しているだけのことが多い。
人類は、解決策も妥協点もない問題や課題に、向き合い、そして、つき合っていかなければ、ならないのである。
解決策も妥協点もない問題や課題を、力ずくで無理矢理に解決しようした時、事態がさらに悪い方向へ向かう可能性がある。残念なことに、しばしばその可能性の方が高い。
解決策も妥協点もない問題や課題は、人類の力とは違う力が作用した時に、あるいは、人類が無力を悟らざるを得なくなった時に、解決に向かう可能性はある。
解決や妥協への希望が芽生えるとしたら、すべての地域が豊かになり、すべての人が自力で幸せに暮らせるようになり、そして他者から何かを奪ったり、他者を悪用したりする必要が、なくなった時かもしれない。
世界はその時を待てるであろうか。
人類はその時を待てるであろうか。
世界はその時を実現できるであろうか。
人類はその時を実現できるであろうか。
都立中などの適性検査では「答えのない問題」が出題されると主張する人がいる。正解が一意に決まる学力試験型入試対策の指導を専門とする塾や予備校の指導者は、そうした誤解に陥りやすい。
しかし、現実世界の「解決策も妥協点もない問題や課題」に比べたら、適性検査では、遥かに易しい問題や課題しか出題されず、「解決策や妥協点」も用意されている。
解答者は小学生であり、採点する側が点を与えられなければ、入学者選抜にはならないからである。
適性検査の全ての問いには「解決策や妥協点」は必ずある。指導者が「解決策も妥協点もない」として指導したり取り扱ったりするのは、まったくもって、適切ではない。
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