[2024年6月4日]
ベルギーのアントワープ(アントウェルペン)郊外を舞台にした、少年ネロ(ネルロ)と愛犬パトラッシュを描いた物語「フランダースの犬」を知らない人はいないであろう。
小学校や中学校で読書感想文の課題図書になることも多いかもしれない。
日本ではアニメ化もされて有名ではあるが、ベルギー現地では知らない人が多い。作者がイギリス人(父はフランス人、母がイギリス人)で、イギリス文学として発表されたためだと考えられている。
ネロは絵の才能がありながら、父母は亡く、病気の祖父と二人暮らしで、幼くして牛乳配達をしながら生きながらえている。親しい少女アロアの父からは卑しいと蔑まれ、村人からも冷たくされる。
クリスマスを数日後に控えて祖父は他界し、家賃滞納から小屋を追われ帰る家を失う。応募していた絵のコンクールに落選し絶望の淵に立たされる。
残されたただ一つの希望は、教会に飾られたルーベンスの絵を一目見ることだけだった。吹雪のなか空腹に耐えながら教会に辿りつくネロだが、絵を前にして愛犬パトラッシュとともに命絶えてしまう。
フランダースの犬
この作品から学ぶことができる教訓はいろいろとあろう。
今回は、あえて、一般的な切り口では挑まない。
作品が発表されたのは1872年である。当時のヨーロッパは第二次産業革命を経て、大資本(産業資本と銀行資本が結合した金融資本、注)による産業(生産手段)の集中と独占が進み、中小企業が没落し、貧富の差が大きく拡大した時期でもある。1873年に当時のヨーロッパの文化と経済の中心であったウィーンの証券取引所が大暴落し大不況へと突入していく前夜でもある。村人がネロへの救いの手を伸ばすことがなかったことには時代的な背景もありそうだ。物語の中でもネロは唯一の糧であった牛乳配達の零細な仕事を大手牛乳配送業者に奪われて収入の道を完全に絶たれる。
注)金融資本については世界史では必ず扱われるが、なぜか日本史では扱われない。
舞台となったフランドル地方とアントワープ周辺は、オランダに近くオランダ語が話されている地域で、プロテスタントが多い地域である。アロアの父は商売で財を成した村一番の資産家である。大金が入った財布を落としたことで全てを失ってしまったと嘆くが、ここに蓄財や富形成を美徳とするプロテスタント的な世界観が垣間見られる。アロアの父や村人が貧しいネロを疎ましく思うことには宗教的な背景もあると考えられる。
もう一つの視点がある。
この作品は「フランダースの犬」であり「フランダースの少年」ではないことである。
パトラッシュはネロのもとに来た時にはすでに老犬であった。前の飼い主からは虐待を受けていたがネロのもとでは大切にされた。パトラッシュのことを最も理解していたのはネロであることが作品から読み取れる。
老犬パトラッシュはいつ天命を全うしても不思議ではない状態で猛吹雪のなかネロを追って教会に辿り着く。そこでは飼い主のネロがルーベンスの絵を前にして最後の望みを叶え至福の時を迎えている。その側により添うことができた。飼い主ネロが満ち足りた気持ちでいることを感じ取ったパトラッシュは、幸福と安堵を感じながら至福の最期を迎える。
この物語がパトラッシュを主人公としたものならば、悲しい物語だという一般的な解釈とは違い、実にハッピーエンドな物語となる。
実はネロも与えられた環境のもとで最も幸せな最期を迎えることができたのだと読み取れなくはない。
この後、世界は、いや人類は、第一次世界大戦へと突き進んでいく。
幸せとは何か
幸せな最期とはどんな最期か
物語「フランダースの犬」は、私たちに問いかけているのではないだろうか。
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