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三田学院

[2024年7月5日]

【国際教育】真のグローバル教育とは何か

つい先日、英語の難関大学受験指導に長年取り組む有名予備校講師からお話しを聞く機会があった。

東京大学の入学試験で求められる英語力とは「教養ある大人の英語力だ!」

開口一番、その方は語気を強めた。

しばらく前に、英語4技能の大合唱や英会話力の大合唱が吹き荒れた時期があったが、東京大学はそんなものはどこ吹く風で英語入試内容は何も変えなかった、と。

音声が悪く聞き取りにくいと悪名が高い東大のリスニング英語も従来のままだ。クリアな音声の英会話しか聞き取れないような英語力を真の英語力だとは認めていない節がある、と。

東京大学は、英語リスニング力とは、一語一語や一文一文がクリアに聴き取れないければならないのではなく、雑音交じりで音が消えるような状況でも内容を理解できるような力こそ英語力だと考えていると分析している。英語を実際に使う場面を想定した試験であることは容易に理解できる。

そうした英語リスニング力はどうしたら伸ばせるかであるが「教養ある大人の英語力」の「教養ある大人」こそがその答えを導き出すキーワードとなる。ただ英会話を学んでも、いくら英会話力を高めても、東大が求める英語力には到達できないからだ。

本題に入るが、真のグローバル教育とは何だろうか。

教養がない、大人とは言い難い人が、ただレベルの低い英会話を話せるようになることを目指す教育ではないことは、もう分かるであろう。

ではいったい何がグローバル教育なのであろうか。

その答えは「教養」にある。

大人への入り口となる18歳が迎える最たる試練は大学入試となる。

この年齢で求められる「教養」の最たるものは何かということがヒントとなる。

文部科学省はしばらく前に「世界史必修化」を推進したが世界史履修漏れ事件が全国的に多発して頓挫した。代わって「歴史総合」を新設して必修化して実質的な「世界史必修化」に踏み切った。来春に大学入試を迎える今年高校3年生から新課程入試として適用になる。

これまで大学入試共通テストでは、「日本史」を選択受験する場合は「日本史」だけから出題されていたが、新課程入試では「歴史総合」+「日本史(日本史探究)」となり世界史分野からも出題されることとなった。歴史を選択した場合は必然的に世界史を学ばなければならなくなったということだ。もちろん一部の私立大学は「日本史(日本史探究)」だけで受験が可能としているが、慶應義塾大学など難関になればなるほど「歴史総合」とのセットでの出題へ早々に切り替わる。

教養ある大人の英議力を獲得する上で「世界史」を並行して学ぶ効果は大きい。「世界史」の代わりに「地理」でも一部は代用できるかもしれないが、実は高校で学ぶ地理は「系統地理」が中心となり、「地誌」ではなく「データ分析」が中心になるので、実質的に「世界史」の代用とはなりにくい。もちろん個人で地誌を学ぶことは可能だが、忙しい中高生が入試に直結しない地誌の習得にどこまで力を入れられるかは疑わしい。むしろ世界史を学ぶことで地誌を深く理解できるので世界史を学ぶ方が効率的でもある。

高校世界史は世界の歴史を概観する科目のため、広く浅くしか学ばない。日本史並みに個別国の歴史を深堀するところまでは行かない。それよりも広く浅く学ぶことで全体像をを正確に俯瞰できる力が養われる。どこかが欠けても全体は見えないし、どこかに偏っても全体は見えないし、全体を見ようとしただけでは全体は見えないという、実は高い知能が求められる科目でもある。

実は数学にも似た性質がある。三角関数などの幾何や、微分積分などの代数は、それぞれ別の単元として学ぶが、どちらも理解しないと数学の全体像は見えてこない。新課程数学2の「統計的な推量」では、これまで大学教養課程で学んでいた「密度関数(確率密度関数)」を本格的に学ぶようになったが、積分を理解していないと確率を理解できないということが、ここで高校生にもハッキリと提示されることになった。

実は「数学」は「国際言語」でもある。外国語が多少たどたどしくても、数式を示せば外国人が相手でも伝えたいことは明確に伝わるからだ。

世界史では、アジアの北方民族の歴史や、中央アジア(西トルキスタンや東トルキスタン)の歴史を別々の単元で学ぶが、最終的には東アジアの歴史や、南アジアの歴史や、西アジア(オリエントやイスラム世界)の歴史や、東ヨーロッパの歴史や、西ヨーロッパの歴史と関連づけて理解できなければ、世界史の全体像はもちろん、北方民族やトルキスタンの個別の歴史も理解できない。

若き日にイスタンブールを旅した際、今はイスラム教のモスクとなっているアヤソフィア(ハギア=ソフィア大聖堂)の中に入った時、天井の装飾が剥がれていて、そこにマリア像がハッキリと見えたのだが、この地こそ長い歴史の中でキリスト教勢力とイスラム教勢力が凌ぎ合った場所であることを、この目で確認したことで鳥肌が立ったことを覚えている。その後にイスタンブールの歴史地区を歩いていると、人懐っこい若いトルコ人が次々に話しかけてきて、「日本人とトルコ人は兄弟だろ」と口々に言うのを当初は不思議に思ったが、北方民族の歴史や中央アジアの歴史を思い出せば、トルコの若者がそう思うのは納得できたことを記憶している。

傑作は、ロンドンの英会話学校に(夜間に)通っていた時、授業の合間の休み時間に、ギリシア人生徒とトルコ人生徒がほぼ毎回のように口喧嘩をしていた思い出が感慨深い。スペイン人生徒やドイツ人生徒と一緒に何度も仲介に入ったが、仲直りさせることは最後までできず、英会話の授業中も火花が散っていた。ギリシアとトルコの長い歴史を知れば原因は容易に理解できる。インド人生徒とパキスタン人生徒の仲も険悪だった。それに比べれば、日本人と韓国人や日本人と中国人は仲が良すぎるくらいであった。

前に書いたかもしれないが、イギリスの田舎町を旅していて、B&Bに宿泊した際、夕食の席でアメリカからの旅行客やイギリス国内からの旅行客とおなじテーブルを囲むことになったことがあったが、まあとにかく米英が一緒になるとドイツの悪口に花が咲くことを知った。話題が際どいので最初は静かにしていたが、途中から会話に参加したら、なんだ話しを聞き取れていたのかと、みんなに驚かれたことを覚えている。その後急にドイツの悪口が止まり、旅して回った思い出話しに話題が変わったので、食事が口の中にあるのに吹き出しそうになったことを鮮明に覚えている。

話しが長くなってしまったのでまとめるが、文系エリートだけでなく、どなたも、教養としての世界史は学んでおいた方がよい。英語が話せても中身がなければ会話は続かない。グロ−バル教育のどまんなかは、英語よりもむしろ世界史だということを、覚えておいてほしい。もちろん、どちらも真摯に学ぶ方がよいことに違いはない。

その前に、小学生時代には適性検査型対策を軸に勉強習慣を確立しておくのがよい。高い報告書点は、中学の高い内申点や、高校の高い評定平均へとつながるし、適性検査対策そのものが新しい大学入試の突破力につながるからだ。丸暗記や解法パターン暗記ではない、適性検査対策で身につく全体を俯瞰しながら論理的かつ理論的に真実に迫る力は、新しい大学入試で試される「探究力」につながるからだ。


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