[2016年11月27日]
先日来より中学生について色々と書いていますが、「やっぱりな…」のことをお話しします。
?少しだけ成績が上がったから「やっぱり僕は凄いんだ。先生たちは色々言うけれど、僕の思う様にやれば志望校に入れるはずだ」とその後成績が下がり始めて注意しても「できるだけやります」とか「自分なりに努力します」とか「頑張れる範囲で頑張ってみます」のような自分を過信した言動が続き、やっぱり今回の定期試験も下降した生徒。
?「まだ届いて無いから、気を抜くな。ここからが勝負だよ」と注意していたにも関わらず、期末試験の最終日の朝、早く目が覚めたからと、録画していたアニメを見ていて母親に怒られた生徒。言い訳は「テストの判定で初めてA判定が出たから、ちょっと位良いかなぁ」と思ったそうです。
?ちっちゃい頃に、お母さんに「爪切りなさい」「宿題しなさい」「お母さんの用事があるから、今日は遊ばずに真っ直ぐ帰りなさい」とか言われたけど、こんな大きくなっても、まだ、しつこく言うから、鬱陶しくて無視してやるんよ。と出来ても無いのに、一人で大きくなった顔をして「もう言うな」を要求する中2の生徒。
どうですか?
これらの生徒は正しいですか?
でもこんなことは日常茶飯に見ますし耳にします。
生徒たちとよくよく話してみると、「子どもの権利」とか「自由」とか「自分の人生」とか「勉強だけが全てでは無い」のどこかのテレビや講演会で聞いたような『綺麗事』が沢山入っています。
それで、自己責任で「できていれば」何も言いません。
しかし我が侭放題で遣らずにいたのは本人と親なのに、結果(ゴール)だけは人並み以上も物を欲しがるし、手に入らないと分かった途端に開き直って一気に悪に向かうか、もしくは他人に責任を求めます。
何でこんなになってしまったのでしょうね。
「賢い消費者」とか「あの親は物分りが…」とかの言葉に踊らされて、自分を過信している親。
「権利」とか「教育委員会」とか「マスコミ」とか「体罰・暴力」とかの言葉を出しさいすれば、どんな大人も平伏して止めてくれる事だけを知ってしまった「馬〇生徒」。
大人・他人・先生の言葉が『重く・重要』で無くなったから聞き流しやすくなったのでしょうか?
当然、聞かない人が問題ですが、聞かせる立場の私たちに何ができるのでしょうか。
やっぱり、私は教室の根本である「私たちは叱ります」を続けたいと思います。