[2018年11月5日]
以前は少数派だったのですが、近年、超増加傾向にある言葉です。
「私は正しい」
「私は間違って無い」
「私はチャンとやっている」
「私は知っている」
「私は出来ている」
さて、これは子供の言葉でしょうか?大人の言葉でしょうか?
答えは…………
両方です。
大人の場合は、さらに続きます。
「私はチャンと子育てをした」
「私の子育ては間違って無い」
「私は、〇〇については知っている。だって△△さんのお母さんが言ってたから…」
「上の子は、このやり方でキチンと良い高校へ進学できた。私は全く同じように育てた。出来ないのは、この子が悪い」
これらの言葉、誰に確認したのですか?
誰に言われたのですか?
誰と比べたのですか?
誰にも確認していないですよね。
全〜〜部、自分が『思った』ですよね。
誰かに別の意見を言われたら、素直に受け入れますか?
誰かに相談して受け入れてきましたか?
テレビやマスコミの綺麗事を盲信してきましたよね。
自分に都合の良い言葉だけを聞いて、他は聞き流してきましたよね。
だから、今の結果なのです。
だから、今苦労しているのです。
だから、これからも苦労するのです。
「だって、共稼ぎだから、子供に掛かりきりにはなれないのよ」
今の日本では、それが普通です。共稼ぎの家の子は、皆んな成績不振ですか?
だれでも、自分を悪く言って欲しくありません。責めて欲しくありません。
大人も子どもも同じです。
でも、我慢して考えて頑張った結果の苦労と、頑張らないで楽した結果の苦労では後味が全然違います。
敢えて、他人が「嫌われる」のを覚悟で指摘しているのです。
少しだけでも聞いてみる価値はあるのでは?
と、偉そうに言うと、必ず突っ込みがきます。
「先生の家のお子さんは、さぞ完璧な賢い良い子なんでしょうね」と。
じゃあ無いから、多くの失敗を反省したからこそ言っているのです。
ごめんなさい(ペコリ)。