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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2019年6月11日]

聞いて無い?20190611

近日、「言ってやって下さい」とか「説明してやって下さい」という、本来の塾業から考えると『????』という依頼が多くあります。

「私の経験や知識が役にたつのなら・・・」と可能な限りお手伝いをしています。

しかし、最近、特異なことに気が付きました。
話している相手が、『人の話を聞いていない』のです。
勿論、途中途中で返事(空返事かも?)を求めますし、思いや意見も確認しながら続けています。

何でそうするの?何でそう考えるの?どう考えるの?どうしたいの?じゃあ選択肢は〇〇か△△しかないよね?じゃあまずは□□をするしか無いよね?やらなくても何とかなりそう?無理だよね。じゃあ、どう考えて、何をどうすれば良いと思う?じゃあ結論としてどうしよう?

と、順を追ってゆっくりと話します。
ここまで言って『NO』の選択肢は無いはずです。

しかし、99%同意しながら話を聞いておいて、最終判断を訊ねると『NO』なのです。

愕然として理由を尋ねると、「分からん」とか「でも嫌」とか「放っといて」です。

途中の返事を確認すると、「そうじゃったかな?」「分からん」「覚えとらん」です。

最初から、「自分は正しい」「自分は間違って無い」「自分は知っている」「自分はできている」「自分は・・・」「自分は・・・」で聞く気が無かったようです。
話を聞いている時間も、「どう言えは反論できるか」「次は何を言って勝とうか」「何を言えばごまかせるか」「何を言えば許されるか」を考えながらだったので、人の話しを聞いているはずがありません。

これは、生徒だけではありません。「権利」「権利」で育った、お母様世代にも激増です。

たしかに「ひとそれぞれ」の権利や考えが有りますが、日本のコミュニティ文化の中で「利己権利」を主張しすぎるから想像できない事態が増加しているのです。

「子どもにはその子の考えが・・・」とか「分かってやれ」「待ってやれ」「認めてやれ」「許してやれ」と、『放置』と同レベルの容認を続けてきた結果、今、公立小・中学校の異常なレベル低下がおこっているのです。
何でも否定・規制をしろって言ってるのでは無いのです。
きれい事の「物分りの良さ」が、我が子を『ダメにしている』ということも少しは考えて下さいね。

あっ、勿論、全てがこの理屈に当てはまるとは言ってませんので、ご了解下さいね。
特別な理由や原因を持つ生徒も居ますので・・・。