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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2019年6月21日]

やらせないから?望んでるから?201902621

今回は、少し長くなりそうなので、分割して呟きます。
ご容赦下さい。

最近、授業をしていて「えっ?こんな生活に密接なことや、毎日、身の回りにあることを知らないの?」という場面が多くあります。

国語や英語の長文を読んでも、単語や漢字を知っていても、事象を知らなければ、何について話しているのか分からないので、内容が掴めません。
「えぇっ?毎日、通学路で見えてるじゃろ?」とか「お家で〇〇って言葉聞いたことは無い?」っていう会話が度々です。
「だ〜〜ってぇ」って言ってる生徒に確認すると、家庭で「学校で言われたことだけで・・・」とか「そんなことよりも、宿題をしっ」と、勉強とは『学校で言われた事』だけ『学校で習ったこと』だけ、『ノートやプリントに書いてあることだけ書いておけば・・・』との対応をされるそうです。

じゃあ、言われたことや習ったことやノートやプリントに書いてあることは100%分かって覚えてできるのか?というと、『ただ、書いて埋めて提出しただけ』を勉強とよぶのだそうです。

自分で、興味疑問を持って『取りに行く』事などは無く、内容や本質を理解する努力もしないので、当然「利用」などできる筈もありません。

すると、何と言うと思いますか?
「先生の教え方が悪い」
「先生との相性が悪い」
「先生がサラリーマン化している」と生徒だけでは無く、保護者の方が声を大きく言われます。

これって、結局
『とにかく、文句だけ声高に言い続けていれば、自分を正当化できて、誰かが何とかしてくれる』との≪現代病≫に他なりません。

結局、経験が少ないのも、取りに行く意識が無いのも、他人の責任にするのも、親が望んで、親がやらせているとしか感じられません。

少し、キツイ事を言いましたが、今日はここまで。