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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2019年9月8日]

「色んな考えの人が居る」とは言うけれど…20190908

私にも自分の生活がありますので、色々な関わりを持って生活しています。
ご近所、親戚、家族等々です。
その他に仕事上、生徒、保護者、学校関係者等々ともお付き合いがあります。
近年「色んな考えの人が居るから…」とか「人、それぞれ自由だから…」とか「人は、皆んな違って皆んな良い」とか、色々言われます。それに関して、異議を唱えるつもりはありません。

しかし、考えは色々あっても良いのですが、周り(他人or同僚or家族or社会etc.)に『迷惑を掛けても良い』権利までは許されて無いと思います。

色んな考えの人に多く見られるのは、
*自分は絶対に正しい(過信)ので、他人の意見は聞かない。
*人の意見に、意地でも従わない(負けた気がするらしい)。
*万が一聞くにしても、同類の同じ考えの、自分を擁護して自分が良い気分(安心)できる、通称『ツレ』の言葉しか聞かない。
*自分と違う(気分を害されるor面倒臭い)場合は、徹底的にその人を攻撃するか、自分のことはさておいて、周りに有る事無い事無い事無い事を吹聴して『鬱憤晴らし』をする。
*そんな親を見ているので、子供も同様の行動をとる(当然です。生まれて此の方、それしか見た事が無いんだから…)。
*さらに、子供がやられると、スゴイ反射反応で、親が権利・作り話・綺麗事を持ち出して(時には、偉いさんや反社会的勢力の名前まで出して…)反撃してきます。我が子供には、僅かな原因も考えず、攻撃した人を1000%悪と決めて、「マイファミリー」を守りに入ります。
以前、講師をしていた学校でも、当にその通りの母親・光景を目の当たりにしました。(詳細は伏せます。お聞きになりたければ来塾下さい(笑))

と、まあ、色んな考えとは、『我が侭』と『非常識』が多くを占めているのを「偽善化」するための「偽善語」だったのです。
その色んな考えの方々は、知らないのに、一部の『ツレ』に聞いただけで「全てを知ってる」ように反論して来られますし、当に出来てないのに、「自分は完全にやった」と全てを別の理由にこじつけられます。

何でもかんでも「全て周りの顔色だけを見て、自分を殺して我慢して…」と言ってるのではありません。社会で生きている限りは、周りとの協調と同調が不可欠なのです。
少しは「周りを意識して」「周りから学んで」「周りと比べて」事実を認識して反省することが必要なんじゃないかと思います。

子ども達にも、いつも言っています。
「成長するためには、素直、我慢、継続が、必要です。注意をされたら『そんな事は無い…』と反発するのでは無く、自分はそんなつもりは無かったけど、周りには、そう見えていたんだと思って、一度は意見を聞きなさい。人間力が成長しないと、学力も成長できません」と。

「色んな考えの人」は、『自分が知らない事。自分ができていない事。自分が他人に迷惑を掛けている事。言われている日本語と自分の言っている日本語の意味が食い違っている事』を知りません。だから平気でやりたい放題やっても『恥ずかしく無い』のです。

この考え方を普通と思って育った子供たちが作る未来の日本。
想像すると怖いですよね。

まぁ、でも、私はもうこの世に居ない可能性もありますが・・・。

と、言ってる私が、『色んな考えの人』の『最も自分勝手な人』の代表選手だとしても、私は気付いていません。

ごめんさない(ペコリ)