[2019年10月5日]
塾の開校当時には、あまり思わなかった事態が、近年は頻発しています。
いくら言葉を尽くして説明や指示をしても、3割も伝わらない生徒。
いくら、注意や叱責をしても本人的には納得していない生徒
などです。
何度も何度も説明して、「今度こそ覚えとくんよ」と言ったことでも、覚えて無いので「何で覚えて無いの?」と言うと、『覚えたもん』と不機嫌な返事が返ってきます。
私たちは、必要な時に、いつでも出てくることを「覚えた」と認識しています。しかし、できない生徒たちは「覚える行為」をしたことが「覚えた」ことであり、現実に覚えたかどうかはどうでも良く、「覚えるという行為を頑張ったから僕はやった」だそうです。もちろん、きれい事大好きな大人たちも「能力の違いはあるんよ。本人が頑張る姿が大切なんよ。結果を責めてやるのはお門違いよ」と訳の分からないことを言って庇うので。できない生徒は余計やりません。
もちろん、「できて無い」って叱ると、「できてるもん」「これ位で良いって、学校の先生が言ってたもん」「クラスの〇〇君(最下位の子)よりできてるから、そんなに酷く無いもん」と自慢顔です。
保護者でも「家の子、小学校で、いつも60〜70点とってくるから『中の上』です。中学受験して△△中へ行かせたいです」と仰る方が居られます。「えぇっ、ちょっと・・・」と言うと、「何ですか、家の子をバカだって言われるのですか?失礼な・・・」と怒って帰られます。
これらも、全て、言葉を知らないのか、定義が違うのか、認識の違いだけなのか、本人が■■だから思い込んでるだけなのか」です。
迷惑だって言っても、「私は迷惑を掛けたことは無いし、迷惑なことを言ったこともしたことも無い」って言われます。
「色んな考えの人がいるから・・・」とか「色んな考えの人の存在を受け入れて共存しないと・・・」といわれますが、こちらが「〇〇して下さいね」とか「△△は決してしないで下さいね」と言っても、平気でそれをやっておきながら、「私はやってない」とか「そんなことはない」とか、果ては「誰にも迷惑を掛けてない」まで言われると、言葉の認識が違う人や、法律違反すれすれの人を、野放し(失礼。表現がダメです)にして「色んな考えの人が・・・」で許している今のきれい事社会は、「今後どうなんだ?」と思わざるを得ないのは私だけでしょうか?
年寄りの冷や水です。
すみません。