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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2019年12月30日]

分かったぁ?はい!20191230

親「〇〇、分かったぁ?」
子「うん!」
親「分かったんならもう良いわ」

こんな会話が日常的に、よく交わされています。

親は、「私の言ってることを理解してくれた。これで安心」と満足しています。
一方、子どもは「親が、何か怒っていた。とにかく素直に返事をした。正しい行動をした。だから親は許してくれた。僕は良い子」と思っています。

何が言いたいかといいますと、親は「家の子はチャンと私の言葉を聞いているはず。だって、『うん』って言ってたから・・・。これで私の注意したようにやってくれる"はず"」です。
ところが、子どもの方は2パターンがあります。
1つ目は、「大人は忙しいから時間が無い。とにかく目の前の返事だけしておけば、それ以上は攻めてこない。それで許される」と悪知恵が付いている場合です。
2つ目は、言葉の意味が(定義が)分かっていない、日本語が分かっていない場合です。
これを言うと、「そんなことは無い。家の子は毎日キチンと会話できている」と直ぐに反論が返ってきますが、毎日の会話は『信号』です。『合図』です。「食べる」「うん」「〜〜行く?」「行かん」程度です。気持ちや論理を筋道立てて説明させたり、理解してもらえるまで、自分の言葉を駆使して伝える会話は見当たりません。さらに学校の用事を伝えるのが出来ないと「学校がプリントを配らないから・・・」とか「子ども相手に雑な対応!」と自分と子どもの訓練を棚に上げて『すぐに他人のせい』にします。

これらで、子ども達は「分かった」「やる」「私は出来てる」「私はやってる」となるのですが、一部の理解出ている生徒以外の大多数の生徒は、『やってるつもり』『できてるつもり』で時間だけ経過してダメダメになっていったのです。

問題は、大人が「今のきれい事学校の実情」を理解できていないことと、昔と違って、子どもにとって大人が「恐い存在」では無くなっていることです。汚い言葉で言うと『舐めくさって』います。
これは大人にも少しは責任がありれます。『平等』と『目上』の違いが教えられていないからです。

何にしても、過信せず「事後確認」と「叱った後のチェック」が余りにも不足しています。

私たちの仕事も、「教えてやれば・・・」から「観察→指摘→指示→確認→再指示→再確認」が増加して、苦労している上に、前記の日本語が分からない状態の上に平然とスルー出来る価値観が加わって非常に辛い立場です。

何処ぞの塾のように「放っとく」方針に変えれば楽なのでょうが、それが出来ない貧乏性の馬鹿正直が裏目に出て、ドンドン「遠慮の無い抜け毛」と「満ち潮の様なお腹」で罰が当っています。

グスン(泪)