[2020年1月4日]
優しくするのと甘やかすのは違います。
気が強いのとしっかりしているのは違います。
意見がしっかり言えるのと我が侭は違います。
認めるのと許すのは違います。
大人も子どもも同じです。
近年、これらの言葉を「差し替え」たり「勝手な解釈に摩り替える」ことに非常に多く遭遇しています。
平等と公平が大きく違うのと同じぐらいの差です。
とにかく自分の意見を「ごり押し」で通すために、相手が怖がって「平伏す」であろう言葉を「あえて」使う人が多く居ます。
子どもの成長を・・・とか、子どもの健康を・・・とか人並みに・・・の言葉で、いかにも「良い親」や「物分りの良い親」と認めて欲しいために、子どもに本当に必要な「我慢」や「努力」や「継続」や「正直」を教え込むための私たちの努力を『全否定』される方が居られます。
「歳相応の躾」がされていないために「知識」や「データ」を入れても入れても抜けるのを防ぐ為の私たちの日々の努力をです。
これらは私たちの仕事では無いはずです。
しかし、これを優先してやらなければ、生徒も私たちも無駄な時間と労力を消費してしまいます。
何度注意しても無視して、嘘ついてやらない生徒に「今日は終わるまで寝るな」とか「終わるまで晩飯食べるな」と叱責したのに「子どもの成長の妨害を・・・云々」とクレームが入ります。
「だったら、キチンとそれ位の忍耐力と正直さを躾けてから塾に連れて来いや」と思ったけれど、決して口には出さず、大人の対応をした私は偉い?
いえいえ、普通の大人なら、当然の事をしただけですね。
『全部を口に出して、他人を見下して文句を言う大人』が多すぎるだけですよね。
年始から失礼三昧でごめんなさい。
やっぱり今年も反省の日々が続きそうです。