[2020年2月14日]
小学校での学力が「中の下」もしくは「下の上」の保護者とお話する機会が続いています。
例外なく、「家の子は普通です」とか「学校では褒められてます」とか「家の子は絶対やってくれる筈です」とおっしゃいます。
子供と接してみると、勉強とは「毎日学校に行くこと」「聞くこと」「ノートを書くこと」「提出すること」と認識していることが多いです。
つまり、「聞いた、書いた、終わった、忘れた」の典型です。
単元の内容も用語も理解できてないのに、「私はできてた」と自信を持っていますし、1〜2年後に聞いても殆ど忘れているのに、「あっ、聞いたことがある。教えてもらえばできる」と、のたまわれます。
その上、「仲良しの〇〇ちゃんが受験するって言ってるから私もしたい〜」と、我慢も苦労もせずに、何でも思い通りにして貰ってきたことを再現するようにお母様におねだりします。
すると、どうでしょう?
それを聞いたお母様もまた口を揃えたように「家の子、頑張るって言うんです。先生の言うことをしっかり聞きなさいって言ってありますから、〇〇中学の△△コースへお願いします」っておっしゃいます。
何度、用語と公式を覚える指示をしても、教室を一歩出た途端に忘れています。本人に確認したのですから、本当ですよ。
勿論、本気で頑張って、本気で苦労して、本気で目指している生徒も居ますし、その子たちに指導している事もあります。
しかし、ここ数年、「とにかく、〇〇に入れれば」とか「〇〇先生にお願いしさえすれば」とか「家の子なら…」と、意識や生活を確認も変革もせず、金の力と親の上から目線で周りを巻き込んで振り回される方が急激に増えました。
勿論、人情として、「希望的……」は分かりますが、「何でも言いさえすれば…」の風潮を、私は『希望的ワガママ』と呼んでいます。
私たちは、皆さんに、事実をお伝えすることを本気で行っています。
少しだけ、教室の周りの公立小学校の実態と我が子の実態を素直に聞いて頂けませんか?
綺麗ごとを言って、商売っ気を前面に出すことは簡単なことですが、我が教室の先生たちは、賃金が少し位減っても、遣り甲斐と結果を求めている『熱い先生たち』です。
私も、今の綺麗ごとより、将来に繋がる指導がしたいのです。
カッコ良い?