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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2020年2月17日]

善人を賛美?20200217

昨晩、今を時めく某有名人の特集番組を見ました。その有名人の言葉から色々ヒントを頂きました。

「現代は、本音や現実を口にすることを咎める風潮が強い。本音を口にせず、綺麗事を言って、当たり障りの無い言葉や主張をしている人が持てはやされる。」

「社会全体で『コンプライアンス』や『個人情報』『権利』を本質や心とは別に、さも守っている風を装っている。本音を口にすると社会から抹殺される」
です。

私が、日々、口にしている言葉と類似しているので心に残りました。

子どもが「我がまま」で勉強しない。「楽を求めて誤魔化し続ける」をしていても、『分かってやれ』『待ってやれ』『許してやれ』『認めてやれ』『子どもをの考えを受け止めてやれ』と、さも善人を演じている人を「良い先生」と呼び、叱責や罰をしない親を『物分りの良い親』『優しい親』と呼び、子どもの望む結果(努力をしないでも得られる合格や学力アップ)をクレームや金の力で求める親を『子どもを大切にしている親』と呼んでいます。

自らが「善行」をするのでは無く、善行とされている「マネ事」をしている人の「善人ぶり」を賛美して、自分も満足しているようにしか見えません。

前述の『コンプライアンス』や『個人情報』『権利』にしてもそうです。
制度や法の求める本当の目的よりも、必要以上にそれを口にしている人が「素晴らしい人」で、本質を求めて、ギリギリの戦いをしている人を「悪者」とする風潮が『たまらなく嫌』です。

人間同士。正面から向き合って、自分の意見を言い、相手の意見を聞き、討論も喧嘩もしながら、お互いの気持ちを理解した上での『本音』が「悪い言葉」や「古臭いやり方」になるのでしょうか?

だから、「全体の底上げ」どころか、「全体を堕落させている」中での『家の子中の中くらい』が破滅への入口になっていると思うのです。

ちょっと、屁理屈言い過ぎですか?
たまには、目を瞑って下さい。
ペコリ。