[2020年3月31日]
今日で、平成31年度が終了しますね。
なんか、「平成」って聞くと、かなり昔のことに感じますが、つい一年前のことなんですよね。
新型コロナウイルスの影響で、「新年度」って感覚じゃ無いですが、また、頑張っていきましょう。
最近、「私は分かっている」「私は知っている」「私は出来ている」「私は間違っていない」「私は・・・」「私は・・・」のお母さまと多く出会います。
勿論、『人、それぞれの考えがあって…』に反対するつもりはありません。
しかし、私が、その方々に『迷惑』を掛けられる「謂れ」や「すじあい」は無いんじゃ無い?って感じてます。
「この生徒は、〇〇が苦手ですので、春休みの間に、1〜2回余分に授業をして復讐したらどうですか?」と春休みの講習会を提案したら、「家の子はそんなに遅れていません。結構です。塾は『金』を取ろうとして、余計な授業を押し付けてくるんだから…」と・・・。
この方の性格なのか、今まで余程酷い塾に騙されてきたのか…。
「この子は、目の前の学校授業の基本パターンの作業をしているだけて、理解も暗記も考えることもしていないですね」とお伝えすると、「失礼な。学校では先生に『心配ありません。良い子ですよ』と言われるし、スポーツも上手いんだから、この子には私学受験させて、将来は・・・。黙って成績を上げることだけしていれば良いのよ(的な内容をくどくどと…)」と仰います。
あっ、失礼しました〜。しか言えませんよね。
前記の
「私は分かっている」「私は知っている」「私は出来ている」「私は間違っていない」「私は・・・」「私は・・・」のお母さまは、当然その意見ややり方を日常的にされますので、子供は「それしか見ずに」「それだけを信じて」「それに従っていれば」幸せに生きていけますので、当然『同様な』『そっくりな』子になります。
そんなに知っていて、正しいのなら、何故この現状が起きた…って考えられないのでしょうか?
なぜ、ここまで、自分を顧みることができないのでしょうか?
周りや世間の目。他人を気にするばかりの生き方を肯定するつもりはありませんが、周りの意見や忠告やアドバイスに耳をかたむける『能力』を持ち合わせていない人が親に・・・。多分、この親も、勉強できなかった筈です。
だって、「学ぶ」って、他人や師匠や先生の意見や言葉や行動を受け入れて『まねる』ことからはじまるのですから…。
赤ちゃんが、お母さんの言葉や仕草を真似して覚えていくのと同じですよね。
昔の人は良い事を言ってます。
「人のふり見て我がふり直せ」です。
私も注意しま〜〜〜す。