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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2020年5月5日]

色んな考えの人が・・・20200505

よく使われる言葉に「色んな考えの人がいるから・・・」とか、「人それぞれで、考えは色々あるから・・・」があります。

勿論、これだけの数の人々が居て、環境や育ちが違えば、判断する考えが違うのは当然です。

その考えの違いを「とやかく」言うつもりはありません。

しかし、知識量が極端に少なく、よくは分かっていない人が、『自分は完全に分かっていて、判断は間違っていない』とか、周りの他の人と比べて極端に出来ていないのに『私と他人とでは考えが違うから・・・』と開き直っていたり、その行為によって周りに多大な迷惑を掛けているのに、それに気付かずに『良いじゃん。色んな考えがあっても…』と平然としている人。

こんな『迷惑人』の行為まで、私は許容しなければならないのですか?

途中経路は違っても、目指すゴールが同じなら「色んな考えがある」で許容できますが、
「道は根本的に間違って」「努力や我慢は殆どしない」でも「ゴール(ご褒美)は必ず欲しい」うえに、「もし、手に入らなければ、誰かを責める(文句を言いに行く)」
こんな人の考えも、全て受け入れなければならない今の世の中。
平等。公平。対等。
これらの言葉の本質はどこにいったのでしょうか?

きちんと、分かって考えて行動して責任を取って居られる方ほど、言葉数が少ないです。
分かってなくて、やってなくて、できていない方ほど、『きれい事の単語』を沢山使って『大声』で発言されます。周りを責められます。

だからなんでしょうかねぇ?

そんな結果が出てるのも・・・。

日本の伝統である『恥の文化』はどこに行ったんでしょうね?