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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2020年5月14日]

ま〜だ、こんな人が・・・20200514

「スポーツを頑張ってるから、勉強もできるようになる」
「相性の良い先生に『教えてもらえさえ』すれば・・・」
「受験が近いので、塾に行きさえすれば・・・」
「受験が終わったのに、続けて塾に行く意味が・・・」
「高学歴の先生に教えてもらえれば、家の子も有名校に・・・」

どうですか?
上記の意見に、一つでも賛同の気持ちをお持ちの方は、この後の文章は「立腹」の原因になりますので、ここで中止して下さい。

また、最近、変な台詞を耳にすることが増えました。
参考までに。
以前、中3生の親子の、こんな会話を聞いた事があります。
時は9月後半だったと思います。

「あんた、クラブも引退したんでしょ。今まではクラブを頑張ってたから、勉強のことは一切文句言わなかったけど、そろそろ受験よ。ちょっとは勉強したら?通知表もボロボロで、内申点も期待できないんでしょ。塾にでも行ったら?どこか、行きたいところ無いの?お母さんが聞いてみてあげるから・・・、どんな塾が良いの?」
子「優しくて、怒らなくて、宿題が無くて、受験に受かる所」

以上です。

分かります?

「突っ込みどころ満載ですよね」

生徒の方は
自分は我慢や努力や苦労をしなくても、大人が何とかしてくれて、その場を通り過ぎることをすることだけが「勉強」だと思ってます。

保護者の方は
我が子の意識や生活リズムに疑問は無く、「習えば・・・」「教えて貰えば・・・」「行けば・・・」「やらない、できない、筈は・・・」と考え、「勉強は受験のため『だけ』にするもので、高校に行けさえすれば『高校が何とかする筈』『高校に通っていさえすれば、大学へも・・・』とか『また、大学受験の前にチョコチョコっと2〜3ヶ月塾にでも行きさえすれば・・・』」と考えておられるようです。

ま〜〜〜だ、何か説明が必要ですか?

以前より、何度もお話ししていますが、「色んな考えの人が・・・」という風潮や慰め言葉がありますが、「知らない」「できない」「やったことがない」「経験がない」人が、知らないのに、できていないのに、自分の都合の思い込みで人を見下して言い切る事が非常に目に付くようになりました。

こんな方々が周りに、思いっきり『迷惑』を掛けているのに、本人はその自覚が無く、平気で「金の力」や「善良な市民」の顔をして周りを振り回していることを、賢い人たちは「はいはい、放っとき」とスルーするので、余計に即けあがるのです。

間違いは、「間違っているよ」と皆んなで声を上げる方が、我が子に被害を被るのが減るのではないでしょうか?

私は今まで声を上げすぎて、「あの人、頭おかしい」とか「あの人、古臭い」とか「あの人、我が侭」とか言われて、虐められてきました。

だから、私は、皆様の後ろからついて行きます。
宜しくお願いします。

ズルイ!(大笑)