[2020年6月19日]
相変わらず(と言うより増加傾向?)沢山耳にする言葉が、
「家の子も、聞けば分かるようになる」
「家の子も、教えてもらえば分かるようになる」
「家の子も、習えばできるようになる」
「家の子も、塾に行けばできるようになる」
です。
何度もお話ししていますが、「聞けば・・・」「習えば・・・」「教えてもらえば・・・」『出来るようになる』ならば、今の日本の学校制度の中で、『出来ない子』や『分からない子』が居ることが不思議です。
『出来ない子』たちを見ていると、「聞く」と言う行為が理解できていません。説明者がいくら真剣に話しても、音の意味と文の内容を理解しようとせず、単なる『音』として、努力もせず自然に耳に入った振動を受け止める事を『聞いてる』っていいます。
「習う」も、「何をやっていて、何故そうするのか、どの言葉がそれを求めているのか」等全く興味が無く、面倒臭い『作業』を一刻も早く終わらせるテクニックを聞いて書いているだけです。つまり、『○』を貰って「親が許してくれる為の行動」を習っているだけです。
「教えてもらう・・・」も同じで、『式や答えを言って貰って、○が貰える方法を」教えて欲しいのです。
こんな状況を理解もせず、『塾に行きさえすれば、家の子も勉強できるようになる』とか『塾に行かせさえすれば、○○中学に合格する』と連れて来られても・・・。
色々現状をお話しして、ご理解頂けて、親子で「変わろう」として頂ける方もおられます。
しかし、「聞けば」「習えば」「教えてもらえば」を言われる多くの方が「そんな事は無い」「何〜に、偉そうに」「月謝払ってるのに」を言われます。
今日は、失礼を承知で、誤解を恐れず、ハッキリと申し上げます。
「だから、ここまでなったのです」
「ここまで、なぜ放置していたのですか」
なった事は仕方無いにしても、原因と対処方法をお伝えしているのに、『全て他人の責任』とばかり、少しも自分の非を認められない日常を子ども達は見ています。
『人間力が学力に』
これは、私が言い続けている言葉です。
部屋の片付け。プリントの管理。期限。提出。約束事。
これら、年相応の意識と行動が出来ないと、学力向上は難しいです。
これらを放置して、テクニックだけ欲しがられても、『本当の実力』にはなりません。
近い将来、今以上に困ります。