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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2020年7月24日]

何も変えなければ…20200724

勉強ができるように成る為には、
「正しい意識」で「正しいやり方」で「正しい量」をやれば、通常のレベルまでは必ず出来ます。
(勿論、国内トップを目指すのであれば不足していますけど…)

逆に考えると、成績下位者が間違った意識で間違ったやり方で間違った量を続けても決して成績は上がりません。

「毎日、学校に行ってるもん」
「ちゃんと授業を聞いてるもん」
「ノートはキチンと書いてるもん」
「提出物は全部出してるもん」
「テスト直しはキチンと『解答を記入した』もん」
「毎日机に向かってるもん」
「分からないことは聞いて書いて帰ってるもん」
等です。
これらの生活で成績が上位にあるのなら、私がとやかく言うことではありません。
しかし、これらを続けていても成績下位ならば、『自分が正しいと思い込んでいるだけ』で、実際は間違ったことを続けているのです。

何が、どこが、どうしていることが間違っているのかを見つけて説明してあげますから、素直に聞いて、「嫌」か「嫌い」か「面倒臭い」か「時間が掛かる」か「クラブの邪魔になる」かは知りません。
今までのやり方では上がらなかったのです。我慢して変えて下さい。
「つもり」や「〜はず」「〜フリ」は意味ありません。
だって、変わる必要は誰の為ですか?

保護者にも同様の方がおられます。
「しっかりするんよ」
「ちゃんとするんよ」
「復習したん?」
「勉強終わったん?」
「良く聞くんよ」
と、漠然とし過ぎて、生徒は何をすれば良いのか具体的には何も分からないまま『うん。分かった』で済ませてしまいます。

もっと酷い場合には、
「私はキチンと対応している」
「家の子なりに頑張っている」
「子供の気持ちを理解して・・・」
「子供の思いを尊重して・・・」
「家の子は本当は出来る子なのに、先生が・・・」
「上の子は成績良いのに下の子は…。だから私の子育てに間違いは…」
「だって私は…。」「だって、私の考えでは…」と生徒以上に口ごたえと言い訳で自分を正当化。
まで・・・。
もう、何が何だか・・・?

現状の「意識」「考え」「やり方」「量」が正しければ、正しい結果が出ている筈です。
思った結果が出ないのであれば、何かが間違っているか、やり過ぎか不足しているのです。
つまり、間違った行動をしているのです。
何かを変えなければ何も変わりません。
何かを変えた量だけ何かが変わるのです。

「生徒が必死にならなければならない」のは当然ですが、生徒が現状を続けて来たのと同じ期間だけ保護者もその行動をして来たのです。「保護者も素直に頑張って無理して苦労して変わらなければ」生徒だけでは効果は薄いですよ。

ほら、昔から言うでしょ。

『親が変われば子も変わる』です。