[2021年7月20日]
「塾に何を求められていますか?」的な質問をすると、殆んどの人が「成績アップ」とか「受験合格」を言われます。
当然です。
塾は、学習の手助けや補助的説明や出来るだけ短距離で確実な成果を出す『手伝い』や『協力』をする場所です。
成績優秀で、更に高みを目指している生徒には、「これでもか…」の知識と演習を。
少しの『つまづき』に苦労している生徒には、原因を分析し、改善方法をアドバイス。
当然、成績優秀者や、「何が何でも〇〇に受かりたい」生徒は(ほど?)どんなに量や手間や苦労や我慢を求めても、必ず耐えて「結果を手に入れて」くれます。
そんな子の保護者も「遠慮せず、ビシビシ厳しく叱ってやって下さい」と言われますが、生徒本人が「その気」なので、言われるほどビシビシする必要がありません。
逆に、ビシビシやる必要があって、厳しくする必要があって、量をやらせる必要があって、我慢をさせる必要があって耐えて、約束を守って、『逃げ』や『ごまかし』を止めさせる必要がある生徒ほど、レベルの酷さに比例するくらい従いません。
もちろん、今まで、そうやって過ごしてきたのに、何も苦労も我慢もせずに叶えられて過ごして来れたのだから、聞くわけがありません。
生徒は、聞くことを求められてこなかったのですから。
生徒は、聞かなくても可愛がられてきたのですから。
保護者が「どんな塾が良〜〜い?」って聞くと「優しくて、楽しくて、怒らなくて、宿題が無くて、成績が上がる塾」って答えます。
そんなもんが有るのなら、学校なんか不要です。
でも、それを売りにして「うちに来れば、どんな子でも成績アップします。安心して下さい」って言ってる塾ほど人気です。
何故、そんな塾を求めるのか?
そんな子たちの保護者の意見は、
「私は何度も注意した」
「子供はチャンとやるって言った」
「公式や英単語の覚え方が分からんから出来んと言った」
「私はチャンとやってるのに先生が怒る所ではやる気にならんと言った」
です。
何故、子ども達がそんな言葉を平気で口にするのかといえば、当然です、そう教えられたからです。
そんな対応をしたからです。
家族の誰かがそれを許しているからです。
酷い保護者になると、
「私は、無理してお金を払ってまで、子供の望む塾に行かせている良い親」とか
「私はキチンと分かっている。出来ている。だから、私には触れずに子供だけを変えて」とか
「プロに任せたのだから、一々家にトラブルを報告せずに、塾で何とかしてよ」まで、ありました。
家族が「何も変わらず、何も我慢せず、他人に丸投げで、金と楽で何でも手に入る「素晴らしい国、ニッポン」に成ったんだなぁと、力が抜けました。
これを『育児放棄。子育て放棄』と言わず、何て言えば良いのですか?
それでも塾は、金を払っている保護者の機嫌をとりながら、気持ちよくお金を払って頂けるように気を払い、そのお子様の機嫌を損ねて保護者様に「チクられない」ようにしながら、成績を短期間で急激に上げなければ存続出来ない時代になったんでしょうかねぇ?
それ以前の問題で、他人の私たちに何を求めているのですか?