[2022年4月3日]
最近、「あそこの塾は優しい」とか「ここの塾は厳し過ぎる」って言葉をよく耳にします。
同様に、あの先生は優しいとか〇〇ちゃんのお母さんは優しい。△△先生は厳しいとか家のお母さんは厳し過ぎるって言葉も聞きます。
優しいとか厳しいって何でしょう?
正しい意識を持ち、正しい行動ができて、正しい結果になっていれば賞賛の言葉と同時に、ご褒美を与えたり許したりします。誰も厳しく叱らないはずです。
逆に決まりやルールを守らず、指示や約束を無視して「バレなければ…」「見つからなければ…」「怒られなければ…」の行動をしていれば、その人の将来を憂慮して指摘してさしあげたり、時には叱責したり、何度も続くようなら怒ってあげるのが人としての優しさではないのでしょうか?
なのに何を勘違いしているのか、何にしてもどんな場合も全て「許して」「認めて」「褒めて」あげるのが大人の『優しさだ』『心の広さだ』『先進的だ』と主張する大人や「きれい事論者」が激増しています。
それを聞いた親たちも、さも「そうすることが最新の正しい子育てだ」と盲信し実行し、誰かに反論や指摘をされると「そんな事は無い」「家の〇〇ちゃんは…」と無理無理な反論や無視を続けました。そして学校などにもそれを要求しました。
すると、それを主張している親の居る家庭では、子どもは生まれながらに「当然」「権利」「既得権」を与えられているので、嘘や屁理屈を駆使して自らの『楽』を満喫します。
さて、塾の話に戻します。
優しくしてあげることは簡単です。
むしろ優しくしてあげる授業が私たちにとって一番楽です。
なぜならば、原因を探る必要も、次の一手を考える必要も、繰り返し同単元の授業をする必要も、生徒が確実に一人で正解に辿り着く思考過程や実力を付けてあげることを『最優先』にする必要も無いからです。淡々と授業を消化していればいいのですから。
ルールや用語を覚えてくれなくても、指示を無視しても、極端に言うと宿題を全くやらなくても放っとけば良いのですから・・・。
もし、それで成績向上や実力向上ができると考えている大人は、その人が正しい勉強をせずに今まできてしまったのでは無いかなと思います。
勿論、子どもは経験がありません。大人が親が注意・指摘して『今』修正してやるしかありません。
指示に従って、嘘やごまかしをせず、コツコツ頑張った生徒は、確実な実力を付けてくれています。
反対に、「家の子はやっている筈です」「家の子が嘘を言う筈がありません」と間違った行動を擁護すると全く逆の結果です。
子どもが「優しい塾が良い」って言うんです。
子どもが「ここの塾は厳しいから、よく分からない」って言うんです。
何度もいわれてたセリフです。
だから「優しい」と「有名」だけを売り物にしている塾が選ばれることは商売としては正しいです。
しかし、我が子の学力を最優先に考える親にとって「子どもが求める優しい塾」は正しい選択かどうか・・・。
私だけの独り善がりですかね。すみません。