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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2022年6月12日]

多様性の時代だから・・・20220613

「多様性の時代だから、私のやり方も認めて下さい」
「多様性の時代だから、家の子の気持ちを優先してやって下さい」
「多様性の時代だから、暗記をしない生徒も認めて下さい」
「多様性の時代だから、勉強しない子も認めて下さい」等々・・・

確かに「多様性を認めよう…」の時代です。
勉強が全てではありません。
スポーツは出来ないけど芸術が好きな子もいます。
勉強は苦手だけれどもピアノは上手な子もいます。

好きなもの・出来ること・やりたいことを本人の希望で精一杯努力して苦しくても我慢して一心不乱に頑張っている子の姿は私たちも感動しますし、応援していきたいです。

しかし、本気で頑張っている人で、その言葉を『言い訳』の材料に使っているのを見たことがありません。

我慢しない・コツコツ練習をしない・勉強しないで高得点を欲しがる・楽して良い格好や見栄えを得たがる人ほど「多様性の時代…」とか「人それぞれ…」とか「個性を…」を使います。

同様に義務を果たして無い人ほど『権利』を主張します。
公平・平等の意味を知らない人ほど自分”だけ”が得をするように『平等』を叫びます。

私たちの仕事「勉強」もそうです。
やり方が間違ってても、必死でやってる。自分で考えに考えて必死でやってる人は、失敗しても権利や多様性を言いません。勿論、結果が出ている生徒も権利を言いません。
「言ってもやらない」「平気で嘘ついて放っとく」「注意を無視する」「楽して結果(格好良いご褒美)を欲しがる」人の特徴として口先だけで主張をします。

昔(いつ頃の昔か知りませんが)は、この様な行動は「村八分」や「仲間はずれ」や「コミュニティからの疎外」という実害がありました。
しかし、現代は言葉通り「多様性」を受け入れるようになりました。
それに無理やり無賃乗車して利用している人が増えているのです。
これは「大人」も「子ども」も同じです。
正確に言うと「大人が見せている家」ほど「子どもも堂々とやって」ます。

「権利」や「多様性」や「人それぞれ」は全ての我が侭を何でも聞いてあげるツールでは無いのです。