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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2022年7月25日]

可哀そうだからって言えば余計に・・・20220725

最近、
「そこまでやらすと可哀そうだから・・・」
「まだ小さいのにそこまで求めるのは可哀そうだから・・・」
「野球を頑張ってるのに勉強もガンガンいうのは可哀そうだから・・・」
「勉強勉強で娯楽が無いのは可哀そうだから・・・」
の保護者の言葉をよく耳にします。

時には、少数な例ですが、
「発達障害だから可哀そう・・・」
「親が離婚して、シングルだから可哀そう・・・」というのまでありました。

小4の子どもが約束を破っても「まだ小さいから厳しく言うのは可哀そう」
中1の子どもが発達障害(例えばADHD)だから、宿題を忘れても約束が守られなくても「だって可哀そうた゜から・・・」

勿論、厳しく「叩け」「殴れ」「罵倒しろ」「暴力で従わせれば良い」なんて言うつもりはありません。
「娯楽」や「休憩」や「趣味」を全否定するつもりもありません。

3歳〜5歳の子なら、殆んどの子どもができる「素直」「正直」「我慢」ができていないのに、何故、親が先回りをしてご褒美だけを用意したり、手綱を緩めることを先行するのでしょうか?
そりゃあ、知恵が付いてくる年齢になると「どれくらいで許される」「これなら怒られない」「家の親は、そこは許してくれる」と【ズルい】知恵を身に付けますよ(笑)

発達障害やシングルの家庭を理由にされる方についても思うことは、「で?このままで数年後に社会人になった時に、今のままで良いの?」です。
発達障害は親も子も環境も誰も悪くありません。
だから誰かを責めるつもりはありません。
しかし、この子もいずれ社会人になるはずです。
その時に「しょうがない」「この人は特別・・・」って許して貰える環境ばかりですか?伝言や契約やルールを無視しても許して立場や給料を保証してくれる企業ばかりですか?
「閃き」「緻密」「寡黙」等の苦手なものを絶対に出来ろなんて言いません。これらは仕方ありません。しかし、社会人としてのルールを絶対に守る『練習』だけは今からしておかなくてどうするのですか?

シングルの家庭の子を「親の都合で寂しい思いをさせて可哀そう」と言われます。
勿論、子どもに責任は無く、寂しい思いをさせていることや不自由をさせていることは事実でしょう。
だから、何をしても何もしなくても「許して」良いのですか?
「寂しい思いはしたけれど、母さん(父さん)はキチンと育ててくれた」と社会人になった子どもに思ってほしいです。

子どもに厳しくするのは何故でしょう?
基本的な考え方として、一般的に親は先に居無くなります。残された子が正しく社会の中でキチンと生きていける「力」や「考え」を植え付けてやれるのは【親】だけなのです。
自分が居なくなった後の子どもを考えて、色々を身に付けてやるのが『子育て』です。

「仲良し親子」や「物分かりの良い親」が言われ始めて久しいですが、親と子どもの考えは違っていて当然です。立場も年齢もちがうのですから・・・。

子育ては「ご飯」や「お金」や「娯楽」を与えて「機嫌をとる」ことだけでは無いのです。
それらだけをしているのを「飼育」と言います。
もっと酷い人のは「放置」と言います。「無関心」と言います。
動物園の飼育員さんを見てみて下さい。長時間で過酷な作業をされていますよ。