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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2022年12月10日]

辛抱と我慢は・・・20221210

先日、お寺の住職さんを囲んで、懇話(談話?)会がありました。その時に出てきた参加者のお話しです。

最近(この段階で“おっさん”て言われそうです)の若者に指導や話をすると必ず「我慢ですか」と言われます。
『我慢』では無く『辛抱しろ』って言うと「同んなじでしょ」って口答えされる。
「辛抱と我慢では大きく違うのになぁ」と自分を責める場面が度々登場する。
「寂しいなぁと感じる今日この頃」との話でした。

たしかに、『辛抱』と『我慢』では、対象と心持ちが違います。

我慢は、自分のためではなく誰かの指示・命令に従って、自分の好みや意志を押し殺して、相手や周りに攻撃的な気持ちでするものです。
「・・・してやってんねん」
「しょうがないから、・・・してやろう」
「仕方ないから・・・はしないで於いてやろう」
と、何でも「自分」が「相手」のために『してやる』ものです。

一方、辛抱は、自分のために今は逃げられないし、反発する根拠も無いが、自分の知識や地力を蓄える間は、『黙って』『素直に従って』『受け入れて』『言われるやり方でやってみる』ことです。
つまり、すべては自分のためであり、足りていない部分を埋めるまで、将来の自分の活躍の場面に向かって黙ってコツコツ続けるものです。

何でもかんでも「自分の思い通り・・・」を権利のように教えられて育った人。自己主張をすることが「新式」、自分を抑えるなんて「そんな時代ではない」と生活している人。

何でもかんでも周りや“他人のせい”にしていさえすれば、我が儘が叶えられると育ってきた人には考えられない言葉だと思います。

今のあなたの心は『我慢』ですか?『辛抱』ですか?
一度ゆっくり考えてみませんか?