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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2023年6月11日]

家の子は、塾に行きさえすれば・・・20230611

「家の子は出来る子なんです。だから塾に行きさえすれば〇〇中学(偏差68)に確実に合格できる」
「家の子は良い子なんです。なぜか学校の成績が悪いから塾に行って教えてもらえば・・・」
「家の子、学校の先生が言ってる事が分からないって言うんです。だから塾に行かせさえすれば・・・」
「家の子受験生なのに、今までほとんど勉強してなくて、学校のテストも平均点以下なんです。だから塾にでも行かせれば□□高校(偏差55)に行けるはず」
「家の子、強制されるのを嫌がるんです。塾でも『宿題』や『英単語』を強制しないで下さい」
「家の子、仲良しの〇〇ちゃんと同じ学校に行きたいって言うんです。だから〇〇ちゃんと同じ塾に行かせれば同じ高校に・・・」
「家の子、中学校の成績は良いんです。だから苦手な科目だけ教えてもらえば直ぐ完璧に・・・」
「家の子、勉強は苦手だけど野球は好きって言うんです。だから受験直前に塾にでも行かせれば・・・」


いかがでしょうか?本当はまだまだあるんですよ。近年は激増傾向ですね。

これらを読んで「うんうん。分かる分かる」ですか?「え〜っ、どこがおかしいの?」ですか?


この様な発言をされる方に、色々現実をお話しすると「えぇっ、家の子は違いますよ」とか「いえ、家の子は大丈夫と思います」って、地元の小・中学校の現実をどうしても受け入れて頂けないことが多いです。
ひどい時には、「何ぁに偉そうに!色々な塾から選んで来てあげたのに・・・」とか「客がお金払ってるんだから、要望に応えれば良いでしょ」とか「えっ?無理なんですか?あそこの▽▽塾の人は『あ〜っ、分かりました。頑張りましょうね』ってすんなり勧誘されましたよ」って・・・。
もっと自己嫌悪になるのは「失礼ねぇ。自分のところでは成績を上げられないからって、言い訳ですか?」です。

たしかに、学校では教えない情報や知識の話もします。目先の知識や点数にはなると思います。しかし、それらがすべて実力になって、何年後かの実力として使えるかどうかはその生徒の「受け取り方」と「残し方」で大きく違ってきます。

我が教室では、そこの部分についてもお話しします。目の前の点数には間に合いませんけど・・・。
信じて素直に従って続けてくれた生徒の数年後の笑顔もたくさん見てきました。
逆に、「細かいことを色々しつこいなぁ」「勉強だけ言ってくれれば…」とスルーし続けたり、退塾していった生徒の数年後もたくさん見てきました。

私たちの言っている勉強方法が「唯一無二」だと言っているのではありません。
勉強をするための「準備」が出来ていない生徒と保護者が激増している現状が多すぎるのです。
「優しい」「怒らない」「人それぞれ」
なんて素晴らしい言葉でしょう。決して否定するつもりはありません。
では、ゴールも受験も「人それぞれ」で良いのですね。
何故かここだけは周りの皆んなより『ちょっとだけ上を・・・』と「それぞれ」では無く「周りと比べて」を求められます。
じゃあ、途中過程も「周りと比べて・・・」が必要なのではないですか?

直前に「塾に行かせさえすれば・・・」「塾に行きさえすれば・・・」何度もたくさん聞いてきた言葉です。自力で出来ていた生徒が、直前に他人の意見や確認が欲しくて【ただ行くだけ】は価値があります。しかし根本が出来ていない生徒が【ただ行くだけ】は「儲け主義塾」の美味しい「鴨」では?
有名監督の野球部に入れば、「家の子」も必ず甲子園のレギュラーになれますか?