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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2023年7月4日]

保護者は気付いていない・・・20230704

「家の子は、注意したら必ずやってるはず」
「家の子が、まさかごまかしている筈は無い」
「私が言っても分かってくれないのだから、友達か先生に問題が・・・」
と度々耳にする言葉です。

小さい時(5歳〜10歳位)に「あなたはスゴイ!」「あなたは何でも上手」「あなたは何でも知ってるのね」と子供を過剰に褒めて(煽てて)きたことが、生徒の自己過信に繋がり、後に何を注意しても自分を過剰に信じているので修正してくれる筈がありません。
もっと酷いと、日本語の定義そのものも勘違いしたままで「勉強している・・・」「分かっている・・・」「やっている・・・」と、いくら注意しても修正できない場合があります。

他に、「お母さんは、あなたが大好きよ。宝物よ。あなたが居なくなったら母さんも死ぬわ(ちょっと極端ですか?)」と、幼児期に大切に大切にコミュニケーションを取られていた方(勿論、小さい子には必要な大切なことです)、幾つまで続けられましたか?
小学校に入学し、周りの友達の『ズル』を目にし、少しずつ真似を始めた頃、勉強の大変さや面倒臭さから逃げて少しでも『楽』を手に入れるため「母さんは、私のことが大好きで大切だから、ちょっと位誤魔化しても怒られない」と母さんの前だけは上手く嘘をつくことを考え始めているのです。

他には、「子どもには子どもの人生がある。私があれこれ言う権利は無い。あなたが納得したんなら、あなたの思うようにすれば良い」と言われる方が居られます。
たしかに、一々過干渉をして、全てを親が決めることは間違っています。しかし、高々十数年しか人生経験していない将来や社会生活を知らない子供の意見をそんなに受け入れても良いのですか?
例えば「勉強」や「塾」等は、『楽』な方を選択するに決まってるじゃないですか。家の子だけが「苦労」「茨」「将来の為」の道を選ぶと思う根拠は何ですか?

色々言いましたが、「暴力で恐怖を・・・」とか「一々チェックして干渉を・・・」とか「24時間専業主婦で・・・」を言っているのではありません。子どもも成長とともに知恵が付きます。逆に知恵が付かなければ不安です。
子どもの年齢相応と学力現状を考えて、親も態度・反応を変える必要があるのではないでしょうか?

「私は間違って無い。私は出来ている。私はやっている」では、成績不振の生徒の反応と同じではないですか?

周りの経験者や有識者の意見を聞いてみることも有効では?