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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2023年7月12日]

もう、死語なのかなぁ?20230712

成績不振生徒や伸び悩み生徒、現在下降まっしぐら生徒たちと共に学んでいると、「えっ?これらって既に死語なの?」って思う言葉があります。

それは「絶対」「必死」「我武者羅」です。

そんな子ども達に確認すると「知ってるよ」「使ってるもん」って言ってくれますが、どんな場面で使っているのかを詳細に確認すると、呆れる使い方です。
例をお話しすると、宿題が終わっていないのにゲームをしていて、母さんにバレて叱られた時の言い訳などに使うそうです。
「あんた、宿題してないのにゲームしてない?」
「終わったもん。嘘じゃないもん。絶対やったもん」だそうです。
『絶対』ってワードはこんなに軽いワードだったのですね。
子ども達にとっては、ワードの意味や本質よりも、「どうすれば・・・何て言えば・・・許してもらえるか」「見逃してもらえるか」「楽が出来るか」が大切らしいです。

私たち(って言っても私より皆さん、ず〜〜っと若いでしょうが)の頃って「宿題は絶対やるもの」「先生が覚えて来いっていったら、必死で絶対覚えていくもの」「自分が目標を決めたら、他には目もくれずに我武者羅に毎日やるもの」と『やるべき事は何が何でもやる』が当然でした。先生の指示や命令や決まりを無視やスルーなんて概念は、子どもにも親にもありませんでした。
だって、「宿題」や「覚える」は誰のためですか?先生の自慢?先生の嫌がらせ?生徒の今後の勉強や人生に必要だから指示しているのに・・・。

ところが、現状は「やらなくても怒られない」「やらなくても罰は無い」「放っといても買ってもらえる」「終わって無くても遣らせてもらえる」「宿題をやってなくても野球(サッカー)の送迎はしてもらえる」ので、子ども達の生活に『絶対』とか『必死』なんて概念が出来る訳がないのです。その上、子どもが望んだものは親が先回りして「金の力」や「誰かのせい」にして何でも叶えてくれるので、我武者羅なんて有り得ません。
万が一失敗しても「結果はどうでも良いの。頑張る姿が美しいのよ」と頑張ってもいない子供をさらに励ますなんて「何が何だか・・・」の対応まで見られます。

昔は(だから何年前の話だい?)宿題が終わってなければ、自己責任だと言われて、夜中までやらされました。欲しい物がややりたい事があれば必死で実現しました。「あいつに勝ちたい」と思って、遊びや趣味を諦めて、我武者羅に練習しました。

「終わっていないのなら、寝ずにでもやれ!」って指示したら、お母様から『子どもの成長には、睡眠はとても大切です。変な指示は止めて下さい』とか『遅くまでやっても疲れたら無駄だから、一区切りついたら寝なさいねって言われたから、やって無いけど寝た』って子供まで居ました。

「宿題をやってないのに、どうして外食に連れて行くの?」って質問したら、『子どもの為には食事は大切。我慢させるなんて…』って言われました。何〜に言ってるの?帰りに弁当でも買って帰れば?
『家族が揃って食べる食事は、子育ての環境に一番大切』って言われました。何年も一人で弁当を食わせろなんて言ってません。親が子供も全員で揃って食事するテレビドラマの場面に憧れていただけでしょ?宿題を終わらせる『躾』をしたら、毎日実現できますよ。

どうですか?

絶対とか必死なんてワードは、自身の心のワードです。
『遣らなくても許してやる』『まだ小さいから・・・』なんて綺麗事を言ってると身に付かないワードです。
私の経験上、10歳の子なら、かなりの我慢や忍耐は出来てます。
あなたのお子さんはどうですか?

「三つ子の魂、百まで」や「人の振り見て、我が振り直せ」ってスゴク良い諺だと思いませんか?

ま〜〜〜た【古臭い】【古典】って言われますね。ごめんなさい。