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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2023年7月17日]

勘違い? 個人の自由?20230717

最近の世の中(この言い方が既に年寄り?)で言い方や使い方によっては、本来の意味とは違っている言葉が当然の様に使われていますよね。
使っている本人はどの様な認識で使われているのか聞いてみたいです。

例えば「要望」や「お願い」です。生徒の保護者が、学校や管理職に会って、自分の意見や改善要求(時には理不尽な・・・)をしたり、行政に向けて同様のことをした時に使われます。そして後日「あの教頭先生、どうなってるんでしょうね。要望したのに全く変わらないわね」と度々言われています。えっ?要望って伝えることをしたってだけで、叶うかどうかは相手の事情や内容によるのではないでしょうか?「話し合い」も同様につかわれます。自分が思ったことは、相手に言えば、どんなことでもすべて叶うと考えられているのでしょうか?
これは「要求」「ごり押し」「押し付け」「家庭内での尻に敷かれている状態」と言います。

個人的なことで申し訳ないのですが、ご本人は「おしゃれ」でされているファッションなんでしょうが、余りにも過重で他の服装と合ってなくて、年齢的に(失礼ですよね。放っといてですよね。すみません)少し無理がある恰好をされている場合があります。完全に「個人の自由」ですから、どんな格好をされても良いのですが、やはり周りの他人は特異な目で見ていますね。この過剰な状況を「ケバい」と言いますね。

多少の困難に突き当たっても、同時に沢山の問題に見舞われても、負けずに心が折れずに他人のせいにすることも無く何とか解決しようとしたり、笑顔で毎日を過ごされている人が居られます。こんな方を「芯がしっかりしている」といいます。しかし、最近は、兎に角何でも他人のせいにして、兎に角口答えして言い返して、何でもかんでも通り過ぎて自分の意見を通してしまう方が増えています。本人たちは「芯がつよい」と言われますが、単に「気が強い」もしくは「心臓に毛が生えている」ではないでしょうか?

他にも、どんな状況でも何が原因でも、自分の好みや嫌な事から逃げられることをしっかり言える人が多くなっているように感じます。子どもがやっていたら、保護者が「家の子はキチンと言えて、イジメられずに済むわ」って喜んで言われますが、これって単に『わがまま』って事じゃないんですか?

仕事上、学校や教育のことについても少し触れてみましょう。

「家の子は学校でも成績でも普通」って言われることが多いです。普通って何ですか?「周りの皆んながそうだから・・・」とか「学校で平均点前後だから・・・」が多くの理由ですか、皆んながやっているから良いことならば、全体のレベルが低い母数や全体の規律が乱れている団体の真中が普通なんですかね?平均ってほとんど意味を持ちません。合理的な偏差値や模試正答率くらいしか合理的じゃないのでは?
「普通」って言ってる保護者が、普通であって欲しいとの希望的言葉ではないでしょうか?

他に最近増加傾向にあるのが、保護者が生徒の説明に使われる「家の子、口数が少なくておとなしい良い子なんです」です。口数が少ないのはおとなしいことですが、問題は何故、口数が少ないかです。
最近増加傾向なのが「日本語が苦手」な生徒です。場面や状況に必要な的確な日本語が使えなかったり、自分の心情を表現できなかったり、相手が言っている言葉が理解出来なくて、「放っとけば又、次を言ってくれる」的な語彙力が原因の生徒と、「面倒臭いなぁ」「邪魔臭いなぁ」「放っとこう」と思いながら聞いた生徒が「下手に言い返したら余計色々言われて面倒だから・・・」と無視やスルーを決め込んでいる場合です。
本当におとなしい生徒は、必要な場面では、こちらがビックリするくらい大きな声で、ポイントを言ってくれます。じぁあ、そうじゃない生徒は誤魔化そうとしている「我がまま生徒」なんじゃないでしょうか?

「自由」とか「人それぞれ」とか「個性」とか「法律に反しなければ・・・」とかの社会の流れを否定するつもりはありませんが、中には、それによって周りや他人に迷惑を掛けていることも多くなっています。
それこそ「思っている」と「思い込んでいる」は違いますよね。
「人の振り見て我が振り直せ」って言葉もあります。参考にしてみられては?

あっ、今流行りの「言い換え」とか「気配り」を考えられるのであれば、上記の例を逆に使われれば良いかと・・・。
又々余計なことを・・・。すみません。