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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2023年8月2日]

学ぶ姿勢の今昔・・・20230802

師(先生・指導者・師匠等の全般)からの「御言葉」や「知識」「経験」「技術」を知りたくて、見たくて、聞きたくて、一つのことも見逃さず、一言も聞き逃さず、全てが出来るように成りたくて「誰か」に教えを請い、指示やお手本通りに行動することを『学ぶ』と呼ぶはずです。

昔(と、言っても高高40〜50年前です)は、指導者の指示や命令や指導を【無視】したり【スルー】したり【程々でやめる】なんてありませんでした。「覚えて来い」って言われると夜中まで掛かっても必死で覚えました。「〇〇をやって来い」と言われると、何時間掛かってもやり遂げました。大人や先生の言葉は『絶対』でした。

ところが、20〜30年前くらいから、「子どもの権利」とか「自由」とか「平等」とかの言葉を『誤理解』した人たちが、先生たちを悪者にし、子ども達の「怠け心」をくすぐり、「叱らない・強制しないこと」を『近代的』とか『最新の・・・』と誤宣伝しました。
もちろん、子ども達は「喜んで飛びつき」ました。
おかげで急激な学力下降が始まりました。
「練習中は気合で水は飲むな」とか「うさぎ跳びで石段を往復」のような間違いを修正するなと言っているのではありません。
宿題や単語の暗記は指導者の威厳とプライドのための指示でしょうか?子ども達の今後の『学び』に必須の知識と分かっているからこその師からの指示ではないでしょうか?
もちろん、保護者や家族は叱責や注意をし続けていました。

ここ10年以内の現状はどうでしょうか?
先生の指示よりも、自分の好みや都合が優先で、覚えたかどうかよりも、言い訳や口答えで如何にしてその場を通り過ぎるかが大切なことであり、それを注意したり叱責する指導者を「暴力的」とか「軍隊式」とか「旧社会的」などと批判して話を逸らすことが主流になっています。
例え話をすると、学校の先生から罰や居残りの武器をすべて取り上げ、優しい口調で淡々としゃべることだけで生徒全員の成績を保証しろと言っているようなものです。説明を聞かなかったり、指示に従わなかったり、やることをやらずに生徒の成績が上がらなかったら子どもの行動より「先生の指導力不足」と総攻撃です。

もちろん、素直に聞いて、必死に覚えて、我慢を重ねて理解を続けている生徒(つまり成績上昇者)も居ます。何故でしょう?
これは、大人や師の言葉を無視したりスルーしたり放置したりすることは「有り得ない事」と物心ついた頃より植え付けられた環境の御蔭ではないでしょうか?
「家の子はそうよ」と言われる方が多いですが、実際に学校の中で、そこまで必死な生徒が何割居るでしょうか?「返事だけしておいて、黙って放っとけばバレない」って思っている生徒が大半なのではないでしょうか?
そこを見抜いて確実に指導してやることが子育てではないでしょうか?
「殴れ」とか「食事を与えるな」とか「自由を与えるな」と言ってるのではありません。
「揉めるのは嫌」「面倒臭い」「言えば分かる」「家の子は大丈夫」「普通に学校に行っているから・・・」と、『多分大丈夫だろう』と自分に言い聞かせ、後にどうにもならなくなったら「別に勉強がすべてでは無い」とか「普通に飯が食えれば…」と更に自分を何でも許していませんか?

苦労も我慢も何もせず、与えられるのが当り前の権利になっている生徒。教えてもらうことが当り前の権利になっている生徒。しかもその中から、自分の好みや辛楽でチョイスできる生徒が、自ら進んで学ぶでしょうか?
子ども達にとって「怖い存在」がないのです。「我慢」する必要がないのです。

「私がこうだった」という保護者の経験を、何も言わなくても子どもが実行している可能性は?
どう思われますか?