[2023年8月17日]
毎日、生徒たちの指導に携わっていると、生徒たちや保護者の勘違いというか、認識間違いというか、日本語の内容の誤解にぶち当たっています。
私たちは、出来るだけ『具体的な指示』を心掛けています。
出来るだけ『具体的な言葉』を使うようにしています。
『今、直ぐに』『必ず』やらなければならないこと。
『できれば・・・』『将来的には・・・』やって欲しいこと。
区別をつけて声掛けをするようにしています。
もちろん経験上、直ぐに素直に完全に実行してくれれば、1〜2か月後には、実力上昇が明らかに見えてきます。
しかし、上昇どころか、現状のまんまや下降する生徒がいます。
分かり易い最大の原因は『指示の無視』と『スルー』です。
『無視』の理由は、「面倒臭い」「うるさいなぁ」「偉そうに・・・」「自分はそこまで酷くない(誤解)」「放っといても、罰がくるわけではない」が多いです。
『スルー』の理由は、「何とかなる」「将来も何とかなる」「今まではこれで何とかなった」「誰かが何とかしてくれる」が多いです。
これを保護者にお伝えした時の反応は「え〜っ、信じてたのに」や「まさか、家の子が・・・」「いつも、言ってるんですけどねぇ」と
「家でも言ってるけど変わらないから、私(母)はもう知りません」や「だから、塾で何とかしてもらおうと・・・」と色々なパターンが。
ですが、私たちが感じる近年の増加傾向にあるのが「誤解語」「誤理解」「認識の甘さ」です。
指示してもやって来ない生徒や半分以下で止めている生徒に、「指示したこと分かってる?」って聞くと『分かってるもん』って答えます。
「言われたようにやってる?」って聞くと『やってるもん』って答えます。
何をどこまでどれくらいやったら『やってる』ことになるのでしょうか?
どのように認識して、どういう行動になれば『分かってる』ことになるのでしょうか?
間違っていても、認識が甘くても、あえて過少に認識しても、どこからも罰がこなくて、欲しい物ややりたいことは与えてもらえます。
つまり、分かってる「つもり」、やってる「つもり」、これ位で良い「はず」ですね。
保護者の認識にも「誤認」があります。
「学校で習えば・・・」「学校で普通なら・・・」「学校に行ってるだけで・・・」「私たちの頃は・・・」です。
これらの細かい説明は別の機会に・・・。
近年の地元の公立小・中学校のレベルの現実を認識して下さいね。
「家の子に聞いたら『やってる』って言ってます」
「子どもは『分かった』って言うのに、テストの点数が・・・」とか
「学校の定期テストは良いのに、塾の模擬テストはイマイチ。塾の教え方が・・・」と言われる方。
保護者にも誤認識がありそうですね。
以上の件を一括りにして「日本語が理解できていないですね」ってお話しすると、必ず「失礼な!」か「家では日常、困ってないですが…」が返ってきます。
これも誤解語ですね。
「日本語が理解できる」ってどういうことでしょうね。
【つもり】【はず】を許してやれ・認めてやれって風潮ですが、認めて許してやっても、入試の時にちゃんと加点して貰えるのなら・・・。