[2023年8月30日]
先日、あるお母様とお話しする機会がありました。
その方には、歳の離れた3人のお子さんが居られます。
その方が言われるには「どの子もそんなに特別優秀ではなかったけれど、末っ子が特別問題だ」でした。
昔から「上の子はおっとり。二番は変わってる。末っ子は活発でわがまま」と言われてきました。もちろん例外はありますよ。念のため。(私にクレームを言われても・・・)
しかし、そのお母様が問題視されているのは、下の子は上の子達と違って、言っても言っても無視するし、約束は守らないし、宿題をしてないのにゲームを始めるし、大人の言うことをことごとく無視することだそうです。
子どもだから、ある程度は覚悟していたが、ことごとく無視しても何とも感じていないようだし、当然、学校の成績も下降一筋一直線の旨のことを話されていました。
私が「どうしてでしょうね?」と聞く前に、お母様の方から『学校や社会が叱らないし、罰が無い。我慢してでも嫌いなことをやったり、遊びをやりたくても我慢して勉強なんて当たり前の習慣が身に付いていない。いくら家で私が叱っても、当然のようにスルー&無視される。こんなんで、これからの社会はどうなるんでしょうね』と言われていました。
私も常々「暴力や傷害は大問題だが、子ども達に【罰】や【責任をとらせる】が無いのだから、子ども達が歳相応や我慢や当然や凡事を身に付けるわけが無い。誰がいつ教えるのか。誰が【すべて許す】を求めているのか。成人して社会に出ると、当然のように罰も責任も求められます。その時、知らんぷりして逃げ出す子を求めている人が居るのか?」と言っていますが、内容は違っていないように感じました。
きれい事や優しい言葉。耳障りの良い言葉。は思いっ切り取り上げて頂けます。聞こえも良いです。
行政も、原因が分かっているのに言葉を濁して「指導法を新しく検討を・・・」とその場逃れ。
原因を作っている『〇カ親』『ダ〇親』は嬉しそうに「ほ〜〜ら、やっぱり私じゃなくて学校の責任でしょ」と満面のドヤ顔。
こんな一部の「分かってらっしゃる方」(私も端っこに入れて〜)の声は届かないのでしょうかねぇ?
再度言います。私は暴力や傷害を推奨している訳ではありません。
自分が子どもだったらどうするかな?と考えた時。何でも許されて、欲しい物が与えられ、罰が無いのなら、絶対に絶対に我慢して勉強なんてしませんよね。