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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2023年9月3日]

意地を張る 20230903

「自分の考えをしっかり持って、意地くらい張れないやつはつまらない」

若い頃、何度か言われた言葉です。
意地を張り通すには度胸と忍耐が要ります。下手に意地を張ってしまったがために、一人で遠回りしたり、寝る間もなく苦労した経験もあります。

「意地を張り過ぎると、ロクなことが無い」

これも、ある程度の年齢になって気付きました。
その通りです。引き際です。負けたのではないのです。周りの知恵を頂いたのです。

つまり、「意地を張る」とは、『自分が一生懸命考えたプランを、自分の信念で絶対実現するぞ』の時に『たった1人でも実現する覚悟』の時に張る(出す)ものです。

ところが、近年は【簡単に】【手軽に】【根拠も無く】張っている意地をたくさん見かけます。

宿題が終わってないのに「やったもん」「絶対じゃもん」
「私はこのやり方が一番合うんじゃもん」
「そんなことないもん。絶対覚えたもん。今、出てこんだけじゃもん」
「私は、覚えられん体質(そんな下戸みたいな体質があるん?)なんじゃもん」
「学校では、良く出来る方じゃもん。私のやり方は絶対正しいもん」
「私は間違ってないもん。皆〜〜んなやってるもん」
「そんなこと無いもん。将来も困らんもん」
「その時になれば何とかなるもん。今までこれで何とかなったもん」
「最後には親が誰かと何とかしてくれるもん」

「そんなことは無いです。家の子はやってます」
「子どもに聞いたら、やってるって言ってます」
「家の子、いちいち指示されたり、注意されるのを嫌うんです」
「えぇっ、それは厳し過ぎませんか?」
「通うのは家の子なので、子どもの言うように・・・」
「失礼な。私の育て方が悪いっていうんですか?」

事実をお話しすると「意地を張って」否定の言葉を返された例です。
これって本当に「意地が張りたかった」のですかね。
何でもかんでも、とにかく言い返して勝ちたかっただけなのでしょうかね。

意地なら見返してやるくらい頑張って苦労して耐えて実現していないと・・・。
生徒も保護者も、自分が責められないための布石を打っているだけでは?

やっぱり近年のは「意地っ張り」じゃなく、何でもかんでも言い返して勝ちたいだけで、結果や想いよりも、【勝った】っていう感覚を得られれば【本末転倒】でも【満足】している人が多いですね。

簡単な勘違いやミスなら「あっ、そうなん?知らんかった」って素直に受け入れれば良いのでは?
人間なんだもの。ミスの1つくらいは・・・。

自分の信念や生き様は、『意地』から見えます。

「とにかく勝ちたい」「うるさいなぁ。放っとけ放っとけ。無視無視」をする人は、それが生き様なんでしょうかね。