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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2023年10月9日]

・・・と思う!・・・のはず!・・・のつもり!20231009

「人、それぞれ」
「人には色々な考えがある」
「別に、どんな考えでも自由でしょ」
そりゃそうです。その通りです。それぞれの人生ですし、自己責任で周りに迷惑を掛けないのであればどんな「お考え」を持たれても・・・。

しかし、近年は『自由』の名の下で、迷惑を掛けても何も感じなかったり、家族への対応を間違ったり、将来(数年後〜数十年後)に困るのに『今さえ楽なら』の行動をしている場面を度々見かけます。

成績不振の生徒たちは
「まだ大丈夫、何とかなる」
「大丈夫、その時になれば・・・」
「誰かが何とかしてくれる」
「今までは、これでも何とかなった」と、やってる『つもり』出来てる『つもり』これで良い『はず』で、他人の意見など聞き入れるつもりがありません。

また、「えっ?何でこんなになるまで放っておいたの?」って思う生徒を連れて来られた保護者のお言葉を聞くと・・・、
「そこまで、酷いとは思って無かった」
「普通に学校に行ってるから・・・」
「その内、何とかなると・・・」
「これ位なら、まだ大丈夫だろう」
「私(お母様)だって、昔、学校で〇〇点位しか取れなかったよ」(何十年昔の話ですか?今の学校のレベルは・・・)

最悪の保護者の言い訳は
「私だって忙しいのよ。子どもの事だけを見てられないのよ」
「だって、言っても聞かんのじゃけえ、もう知らん。どうにでも・・・、自分の人生じゃけぇ、自分で困れば・・・」
「私には私の人生があるし、私だってやりたい事が・・・」なんて事を口にする方まで・・・。

最初に言ったように「人には色々考えがある」「何を思おうが自由」です。その通りです。
しかし、それが正解か、最良か、ベター(ベストは中々・・・)か、独断では分かりません。
最良を選ばれている方や上手くいっている方は『誰かに相談』したり、『周りの誰かを参考』にしたりして、自分の考えを確認したり、自分の行動を修正されています。

もう一方の方を見ていると、誰かを参考にするどころか、
「そんなことはない、私は分かってる」
「私は、やっている」
「私は、出来ている」
「私は、間違ってない」
と、誰かに相談したり確認したりが【極端】に不足しています。

「私は・・・」「私は・・・」と、私がどのような人生を過ごされようがご自由です。
しかし、勘違いや手遅れになって困るのは誰ですか?
大切な大切な子どもではないのですか?

意地を張ってると「ろくなこと」がありません。
「人の振り見て我が振り直せ」ですね。

あ〜ぁ、またいつもの「釈迦に説法」でしたね。すみません。