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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2023年11月12日]

優しい塾と叱る塾・・・20231112

近年、「何をしても叱らない塾」「宿題を忘れても叱らない塾」「指示を守らなくても叱らない塾」等を総称して『優しい塾』と呼んで【大人気】です。
成績不振の生徒たちに聞くと「優しい塾が良〜い」とか「楽な塾が良〜い」とやっぱり【大人気】です。
そんな生徒たちのお母様にもお聞きすると「通うのは家の子だから、家の子の好きな塾や気に入った塾が最良の塾」と仰います。
まあ家庭の方針ですし、月謝を払われるのですから、私なんかが口を挟むことでは無いですけど・・・。

じゃあ、【優しい】って何ですか?どんな行為が【優しい】に該当しますか?
何をしても許してくれること?
何をしなくても許してくれること?
何を求めても全て与えてもらえること?
どんなことをしても叱られないこと?
何でもかんでも褒めてくれること?
嫌な事や面倒臭いことは強要しないこと?

これって、近年の社会情勢や多くの学校で、ほとんど叶えて貰えていることですよね。

もちろん、これですべての生徒に、社会性も学力も身に付くのだったら、こんな理想郷はありません。
しかし、そんな理想郷の理想像のような生徒はドンドン少数派になり、近年の多くの生徒たちはコミュ力や学力に問題があることが顕在化してきました。
「多様性」と呼ばれるものとは別次元の「我がまま」「我慢できない」「必要でもやらない」等の言動が顕著に見えて、【歳相応】の理解ができていないことから、学力の安定的な下降がおきています。

それでも「家の子は違う」とか「家の子だけは大丈夫」とか「家の子は何とかなる」と言われる保護者が増加しているように感じるのは私だけですか?我が教室だけでしょうか?
「家の子は塾に行けば・・・」「塾で習えば・・・」「塾で教えて貰えば・・・」「有名塾に行きさえすれば・・・」「進学塾で言って貰えば・・・」を口にする保護者や、それを信じて【優しい塾】を所望する生徒が増加しているように感じるのは私だけですか?我が教室だけでしょうか?

もう一度確認します。
【優しい】って何ですか?どんな行為が【優しい】に該当しますか?

自分が向き合っている目の前の相手のために、嫌われようが嫌がられようが面倒臭がられようが、今やるべきことをやるように指示し、やらなかったり約束を守らなかったら注意してやる、叱ってやるをしてでも、目の前の相手の間違いや不足を補正する手伝いをしてあげることではないでしょうか?
子ども達の将来の成りたい大人像への、手助けや近道を教えてあげることではないでしょうか?
それって【親】以外に居ないですよね。私たち(他人)がしてあげられることなんて僅かです。

つまり、何でもかんでも許す行為をする人は「目の前の人が完璧で、その人とだけ向き合ってる場合」か「目の前の人に興味が無い人」なのか「目の前の人がどうなろうとかまわないと思っている人」じゃないと、そんな行動は出来ないように思います。

「私は子どもが大切です」とか「私は子どもを愛しています」と言われる方が増えていますが、それは子どもでは無く【私の大切な“物”】であり【私の愛する“物”】なのではないでしょうか?

だって一般的に、子どもには【将来】があり、【目指すもの】があるはずです。親が居なくなってもそれは続いているはずです。
「楽」して「嫌われなく」て「関わらなく」て「放っておいた」ことが『後悔』にならないことをお祈りします。