[2024年1月5日]
指示されたこと
命令されたこと
周りの皆んながやっていて必要なこと
やらなければ達成できないこと
直ぐには結果や形に見えないけれど、やらなければいけない事
「やる」とか「やらされる」とか「嫌だけどやらなきゃ」と、毎日生活していると、色んな場面や対象に【やる】ことは無限にありますよね。
それを実行している途中を「やっている」って言いますし、終わったことを「やった」と言います。
問題はここからです。
何をどれくらいどこまでやったら「やった」ことになるのでしょうか?
誰かに見ていて決めてもらえば楽なのですが、それも中々叶いません。
スポーツジムや水泳や陸上トラックのように、回数や基準があれば数えられますが、回数で確認できない「やる」ことはどうやって判断しますか?
ほとんどの「必要な事」は『必要なだけ』やれば『必要な結果』が得られるはずなんですが・・・。
求めるゴールに到達できなかった時、「次はどうすれば?」とか「どこが違ってる?」と直ぐに更に確認してきたり、質問してくれる人は、短時間で目指していた結果を手に入れています。
他方、結果が出ていなかったり、求められた状態になっていない人に「足りてないよ」とか「間違っているよ」と指摘した時の反応は何故か大体同じパターンです。
「やってるもん」
「できてるもん」
「そんなことないもん」
「私は分かってるもん」
「私は・・・・・・」
と自分に【自身】を持っています。でも、それは【誤解】【勘違い】です。
やっていないから指摘されたのです
やっていないから望む結果が出ないのです
出来ていないから現状の実力なのです
やっていないから、子どもが・・・
間違っているから、子どもが・・・
足りていないから、子どもが・・・
「・・・つもり」「・・・はず」「だって・・・」の割合がスゴく多いと思います。
なのに「自由だ」「平等だ」「権利だ」の言葉が前面に出てくるのです。
これは子どもも大人も同じです。
いつも思います。人間力ってなんでしょうね?