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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2024年1月17日]

どうしてでしょうね?20240117

近年の生徒たちを見ていると、大多数の生徒が「習い事」をしています。
私たちの頃と比べて(あっ、すみません。年齢的に私だけかも知れませんね)、たくさんの時間とたくさんのお金を使っています。ある意味羨ましくもあり、ある意味贅沢だなあと感じています。

生徒たちから耳にする習い事は「サッカー」「野球」「テニス」「水泳」「空手」「ピアノ」「習字」「そろばん」「塾」ですかね。みんな楽しそうに(一部はお母さんに強制されて仕方なく行ってる生徒も・・・)通っています。

そこで気が付いたことがあります。
習い事の「監督」や「コーチ」や「お師匠さん」や「先生」の言われることは『神の声』であり『絶対』なんですね。

野球の監督の言われたことなら、自分の生活や家族の予定よりも「練習」や「素振り」や「走り込み」が優先で、急に予定が変更になっても、何の躊躇いもなく従いますよね。
サッカーや野球の練習時間が迫っていたら、生徒の宿題が終わって無くても、「早くしなさい。遅れるわよ」と宿題は放ったらかしでも送迎されますよね。お母さん。
テニス教室から「突然、空きが出来たから来る?」って言われると、塾や家庭の予定が有っても、直ぐに向かいますよね。
ピアノや習字の先生が「来週の練習の日は先生の都合が悪くなったから、〇〇曜日に来てね」って言われると、塾に「来週の〇〇曜日はピアノが入ったから、来れん。変えて!」って当り前の様に言いますよね。
空手の道場では、入る時、始まる前、終わりの時、出る時、キチンと大きな声で挨拶しますよね。
監督やコーチや先生が「やりなさい」って言った事は【必死】でやりますよね。【素直】に従いますよね。口答えしたり、反発したり、無視したりなんて、絶対?やりませんよね。
その上、結果が出なかった時、野球ならレギュラーに成れなかった時。空手なら試合で勝てなかった時。ピアノならコンクールで入賞できなかった時。『仕方ない。私の練習が足らなかったんだ』と、自分の(我が子の)練習量を省みて納得しますよね。

問題はここからです。

何で塾は違うんですか?
もちろん素直に従ってくれ、嫌な事も我慢して継続し実行してくれ、結果を手にしている生徒も居ます。
自分の勘違いや思い込みに気が付き、アドバイスに従って生徒の希望を手にされた保護者も居られます。

なのに、なのにです・・・、成績の伸び悩み生徒や、「何で、こんなになるまで・・・」の状態まで放っとかれた生徒、注意していたのに「進学してガタガタになった」生徒、ほど私たちの指示や注意や指導を無視しますよね。程々でやめますよね。その上、結果が思い通りにならなかったから「教え方が悪い」とか「あそこダメよ」とか「家の子は頑張ってたのに・・・家の子の責任ではない(旨)」を言われますし、現実に言って来られた方も居られました。
これは「学校の先生」も同じだそうです。「指導力が・・・」とか「家の子を分かってやってくれてない」とか「頑張って入ったのに、何であのレベルの〇〇校なの?」と言われるそうです。
これって、毎回休まず練習に参加したのに、「何で、家の子レギュラーになれないの?」「何でコンクールで入賞できないの?」「何でスカウトされないの?」と同レベルですよね。

今後、生きていくために必要なものへの指導は【軽視】されて【お聞き入れ頂け】なくて、【趣味】や【遊び】に近いものには必死になるのは何故でしょうね?

私たちのやってることや言ってることって、そんなに価値の無い戯言なんでしょうか?
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