[2024年1月18日]
前回書いた「本人のやる気がないと無理」的な文章への続きです。
「いくら指導しても」「いくら注意しても」本人が本気でやる気になってくれないと学力の上昇は中々叶わないと話しましたよね。
保護者面談や入塾相談の場で成績不振生徒について聞かれたのでお答えすることがあります。
すると、それに反論(?)か賛同(?)か分かりませんが、保護者からこんな反応を頂くことがあります。
「子どもがやる気が無いから、家で叱っても無駄」
「子どものやる気が出るまで待つしかない」
「子どもがやる気が無いから、塾に行かせても無駄」
最悪の短絡的なお言葉が
「子どもがやる気が無いから、無駄金になっている塾をやめさせます」
じゃあ、こんどは私から質問と反論をさせて頂きます。
「何で、この歳までやる気が出なかったんでしょうか?」
「いつになったら、やる気が出るのですか?」
「もし、ずっ〜〜とやる気が出なかったらどうするんですか?」
「他の生徒たちがやってた間に、やる気が出なかった期間の勉強の取り戻しはどうするの?」
「塾を止めて、本気でやらなくなった期間の遅れは、どうやって取り戻すの?」
こういう質問をぶつけると、又々再質問したくなるような、こんなお答えが返ってきます。
「そこから頑張れば・・・」
「その時に、塾にでも行かせて、授業を聞かせれば戻れる」と言われます。
それって「聞けば」「習えば」「教えてもらえば」「行かせれば」どんな状態の子でも【直ぐに勉強なんて出来るようになる】って考えですよね。
現実に、そんな生徒はどれぐらい見てこられましたか?また、我が子がその割合に入れる根拠は何でしょうか?
更にエスカレートしてくると、最後に出てくる言葉は大抵同じです。
「勉強が全てでは無い」「勉強できなくても死なない」「私だって普通に生活できている」です。
その通りです。別に「勉強が全て」とか「勉強できない人は生きている価値が無い」なんて言ってません。
『どうすれば、勉強ができるようになりますか?』『今の状態は、何が勉強に対して問題ですか?』と聞かれたので勉強についてお答えしただけです。
それ以外のことについて、「絶対、私の考えにひれ伏して従え」なんて、考えてもいません。
但し、「いつか気が付くよ」「いつか頭を打つよ」「いつか痛い目に遭えば分かるよ」と言われる方が居られますが、その考えは少し古いです。
現代の【権利】【自由】はすごく整備されていて、間違いや出来ないことを指摘したり理由にしてはいけない社会整備が行われているので、中々「頭は打ちません」し「痛い目にも遭いません」しかし、立場や収入に差が出ることは間違いありません。
何でも許される社会だからこそ、【いつか・・・】【その内・・・】なんて無いのです。少しでも早めに家庭での環境作りが大切なのです。
「えっ?じゃあ、やり直しは出来ないってこと?」って言われますが、それこそ、前回書いた「本人の本気とやる気」が全てです。