[2024年2月6日]
先日、セミナーに参加して、現在の全国的な教育の流れを学んできました。
もちろん、先生は東京からお越しで全国2000の教育機関と話した経験をお持ちの方です。
その中で言われていた内容で、我が教室の現状との違いを感じ「えっ?」「あれっ?」と思ったことをお話しします。
近年、都会地域では、「生活力」「生きていく力」「人間力」を育む学習を『お金を払ってでもやって欲しい』と塾に求める方が増加しているそうです。
勉強・学力・知識だけなら学校でも本でもネットでも得られますし、それでは周りの「下位層」と何も変わらず、これから社会に出て60〜70年生きていく力にならないからです。
我が教室では、下位層生徒の保護者ほど「学校の勉強さえできれば・・・」「余計な事は言わずに勉強だけ教えてやって下さい」「家の子の望む様にしてやって下さい」と言われますが、素直・正直・我慢・継続の人間力さえ身に付ければ、必然的に学力も付き、社会性も学び、生きていく力になると思うのですが・・・。
目先のハエを追うような「付け焼刃」の学習指導だけを求められるのは何故でしょうか?
これを「地域性」と呼ぶのでしょうか?
じゃあ、何故、こんな希少な稀有な「地域性」がこの地域に起こっているのでしょうか?
それとも、我が教室にだけ「この様な特殊な要望」が集まっているのでしょうか?
広島県全体は、もともと「優秀県」です。10年位昔は、全国5〜8位ぐらいを行き来していました。
ところが2023年のデータでは、広島県は全国26位です。真ん中より少し下です。
広島市を中心とする県西部地域の学校を見てみると、全国的にも『優秀校』と言われる高偏差値校が沢山あります。私立も国立も県立も市立もです。
県東部地域にも国立校はあります。なのに県全体が26位になってしまうのは何故でしょう?
もう、言わなくても分かりますよね。
じゃあ、何故そこまで県全体を左右してしまうほどの地域になってしまったのでしょうか?
私の感じている考えをお話しします。
もちろん、私見ですので「偏見」も「思い込み」も「失礼」も込みの『独り善がり』の意見です。
福山市近郊は、昔から「自由」「権利」「生徒の望むように」の風潮が強い地域です。
「生徒が望むのに、学力が低いというだけで希望する高校が受験できないのはおかしい」との理論で、「総合選抜制(複合選抜制)」がおこなわれた事実もあります。
望むのであれば、頑張って学力を付ければ良いだけのことですが、その根底さえも否定する暴論です。
その後も「生徒が望む様に・・・」「生徒の実力にあわせて・・・」「勉強だけが全てでは無い」「家の子じゃ無くて、先生に問題が・・・」との暴論まで飛び出す現状が地元小・中学校にあります。
その小学校で「良く出来る子」と言われていても、偏差値にすると40位しかない子が私立中学にでも合格しようもんなら『家の子はスゴイ』『家の子は勉強できる』『将来有望』となるわけです。小学校で優秀な生徒なんて、学年で1〜2人くらいしかいないのが現状です。そんな子は当然、受かるべき学校に入学しています。
同様に、地元中学では、その時だけ聞いて書いて終わって忘れるルーティンが完成し、定期テストも授業で教えたものを「そのまま」出しても平均は50点台です。それを偏差値にすると30台後半なんです。それでも本人も保護者も、75点取ったら「私は優秀」「家の子は優秀」となるわけです。授業と少しだけ変えた問題を出すと「習ってない問題を出した。ズルい」となる訳です。これで学力が上がれば、誰も苦労しないですよね。
また、【それが普通】【これが普通】と信じて疑わないママ友が、お互いに情報交換をするのですから、余計に下降しますよね。【負のスパイラル】にならないことを望みます。
「本当の勉強とは何たるか」を分かっておられる保護者は黙って自分と我が子だけを律するので、引き込まれたりしません。これが他地域での普通なのですが・・・。【良のスパイラル】や【良の口コミ】です。
これらは、この地域特有の勘違いなんでしょうか?
当然、その後の高校や大学もその実力が反映されますよね。すると、責められるのは「学校」と「塾」なんですが、指示に従わないで責任追及だけするのも地域性なんですかね。