[2024年4月14日]
何かを注意したり、説明したりすると「分かってるもん」。
何かの指示をしても実行が感じられなかったり、やった形跡が感じられないことを注意したり、説明したりすると「やってるもん」「できてるもん」。
って、別々の場面なのに打ち合わせをしたように共通の反応が返ってきます。
今まで何度も何度も、お話ししていますが、このやり取りは何故起こっているのでしょうか?
「分かる」「やってる」「できてる」って何でしょう?
これらのセリフを私たちに投げかけてくる人たちには、もう一つ共通点があります。
「私の努力を分かってくれない」「私の気持ちを分かってくれない」「人それぞれ」「個性」「個人の自由」「私なりに」等、チェックできない根拠の無い言葉も付属で付いてきます。
「分かってる」って何がどう認識できてたら「分かってる」ことになるのでしょうか?
「やってる」「できてる」も同様です。
「やってる人」や「出来てる人」と比較して明らかに『出来ていない』『やっていない』のが目に付いたので「嫌われる」「鬱陶しがられる」のを承知で指摘しています。私たちの場合も、出来ていない生徒には注意しますが、出来始めた生徒には回数や頻度やレベルは減っていますよ。
絶対に【そんなことない】のに、指導者が自身の威厳を保つために作り話までして、生徒を悪者にして指摘することがあると思われますか?
もし、あると思われる方は、ここで話は終わりです。お付き合い下さいまして有難うございました。
じゃない方、続けます。
やっている・出来ているのであれば結果も望むようになっているはずです。望む結果が得られていないのであれば、何かが間違っているか何かが不足しているのです。それを外部から指摘されたのです。自分の思い込みや勘違いを素直に認めてみるのが一番の近道だと思いませんか?
常に自己否定をしながら生きていけなんて言ってません。そんなこと出来るはずがありません。常に自分を否定したり自分を卑下したままで生きていくことなんてできませんから…。
指摘された部分をよくよく聞いて現状の自分と比較するか、素直に不足部分を認めるかして欲しいだけなのです。
なのに「分かってる」「やってる」「できてる」って主張して、認めようとしない人は何に縋っているのでしょうか?
私が想像するに、「今までこれで何とかなった」「今まではこれ位で許された」と『分かってる“つもり”』『やってる“つもり”』『できてる“はず”』と、言葉の本当の意味を知らずに今日まできたか、自分をごまかして甘やかして許しているかしか考えられません。
「今まではこうやって言い逃れすればよかった」「作り話でその場逃れをしても、自分に罰や痛みがくることは無い」と少しだけ悪意をもって【わざと】言い訳をしている人も少数だけは居ると思います
改めてお尋ねします。
「聞いてる」「分かってる」「やってる」「できてる」って、何をどれ位どのようになればそういえるのでしょうか?
再度言います。言葉の持つ意味通りなら、それなりの結果が現れているはずですよね。
私が出会ってきた人たちで、これらのワードを主張された人ほど、勘違いか出来ていないか足りていない人でした。
簡単な話です。指摘されたら、思い込みを外して、素直に再度、行動をするだけです。
近年は、生徒よりも…………あっ、又々失礼なことを口走りそうに・・・・・・ごめんなさい!