[2024年5月18日]
『賢いって?』と聞くと「知識が豊富で勉強ができる」「テストの点が良い」と答える人が多いです。
『じゃ、そうじゃ無い人って?』と聞くと「その反対」とほとんどの人が答えます。
じゃあ「頭が良い」って何ですか?
「博識って?」「偏差値」って言葉が次々に出てきますが、何がなんだか・・・ですよね。
「暗記」って言葉がありますが、当然「覚えている」ことです。
過去、我が教室にも居ましたよ。特殊能力の持ち主が。
「一度でも目に触れたり耳で聞いたことはほとんど覚えている」って生徒が。
たしかに『歴史』や『漢字』はいつも満点でした。じゃあ、この生徒が数学も完璧かいうと「全く」です。
つまり内容や使い方は完全には理解出来てなくて、知識としての答え方だけを「文字通り」覚えているのです。
しかし、今までの小・中学校のテストや入試では、この「暗記」が大きな得点源となっていました。
しかし、超有名大学を卒業しておきながら、「???」と感じる人にその組み合わせや応用を質問すると「えっ?そんなん習ってません」と平気で答える人もそれなりに居られました。
つまり、昔の「賢い人」の中には、「自分がテストに答える力」は素晴らしいけれど、「他人に教える力」や「使う力」に少し難があった人が居たことも事実です。
本人も「暗記量が人間の力」だと勘違いして傍若無人に振舞っていた人が居たことも事実です。
そんな「テストに答える能力」や「テストの穴埋め知識」偏重ではなく、前後の事実から組み合わせを考え、記述・論述での解答を求める問題に『入試変革』されています。
じゃあ、「暗記」は全く必要無いのでしょうか?
そんなことはありません。永遠に不要にはなりません。
社会生活や会社業務の中では「機械」が代わりをしてくれることも多いですが、学校や地域コミュニティの中では絶対に必要です。
わたし的には、「用語」を理解し、決まりと共に暗記(ここで暗記です。理解した後です)し「理由」「根拠」を基にして応用や解決や取りまとめを考え出す力などの色々な力の一つとして絶対必要だと思います。
時々、地域に居られるじゃないですか。最終学歴は大したこと無い(失礼!絶対に見下しては無いですよ)のに、地域で皆んなから頼られたり、困りごとを解決してくれたり、揉め事を両者の意見を聞いて、上手く解決して下さる「有難い存在の人」が!
そんな場面に遭遇すると「この人凄い」「賢っ!」って思いませんか?私はしょっちゅう感じてます。
じゃあ「賢い」って言われる人と「じゃない」って言われる人の違いは何かな?と観察していたら、何となく少しだけ見えました。
「賢い」って呼ばれる人たちは【ヒトの話】をよく聞きます。勿論すでに知ってる事もありますが、何分の一かでも新しい事を見つけるように【良く聞きます】。「何で?」って理由も確認しながら確実に【吸収】しようと聞いています。だから、状況がはっきり理解出来て、知ってる知識も確実なので解決策や対処法が思い付くのでしょう。スゴイです。
一方「じゃない」人たちは、何でも中途半端です。聞くのも覚えるのも「何か、こんな感じ」「多分、こんな感じ」「ええじゃん、少々」と全ての知識と対処方法が【雑】なのです。だから意見を言うと「違うよぅ」と否定されると「じゃあ、もう知らん」となってしまうのです。
これって、小さい頃からの「勉強方法」や「学び方」と同じじゃないかなと思いました。
『先生の説明や教科書の解説を完全に受け取って理解し、確実に暗記し、根拠を持って対処方法を考える』これさえ出来れば、学校の勉強も地域コミュニティでの勉強も完全でしょう。
意識したいですよね。子どもはもちろんのこと大人がね。