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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2024年5月23日]

カスハラについて考える 20240523

「NOと言えない日本人」とか「我がままを言わず、周りに合わせる国民性」「横並びを好む国民性」「相手の気持ちを考えて、無茶な主張をしない国民性」と言われて久しいです。

しかし最近、普通に生活していても「ファミレスで大声でクレーム(私には言い掛かりにみえますが)を言っている人」「スーパーで理不尽な交換や値引きを要求している人」「役所で『お前の給料は儂が払っている』と奴隷に言う様な要求を言っている人」その他色々を頻繁に目にするようになりました。
警察の取り締まりや役所の税金徴収、病院の指示、学校や保育所の対応(塾も入れて下さい)に、自分の感情と少しでも違うと、自分の不手際は高っか〜い所の棚に上げておいて、SNSにボロボロの言い分を投稿されることを数々聞きました。

昔(いつの頃?誰を基準?)は、「人の振り見て我が振り直せ」が当然でしたので、反論するにしても、ひと呼吸置いて反論されていました。
しかし、最近は何でも要求し、それが100%叶わないと間髪入れず激情形で問題を大きくする方が増えていると感じます。
いつからこんな「言わなきゃ損」とか「言って、叶えば儲けじゃん」とか「別に、知らない人に気を使わなくても、私“だけが得”出来たら何と思われても構わない」って風潮が【普通】になってきたのでしょうか?

約30年前に日本も「子どもの権利条約」を批准し、学校で「権利権利」と権利ばかり教えられました。
その後「個性」「自由」「人それぞれ」「多様性」「子どもの将来」の言葉のきれいな部分だけをマスコミで取り上げられ、それを真に受けた人々が「正しい要求」では無く【何でも要求】を信じて育ち、社会人と成り『義務は果たさなくても、権利だけを要求しても平気』な人々が増えていきました。
その上【客】とか【金払ってる】がすべての判断の頂点に君臨する風潮に繋がっているように感じます。

さて、標題の「カスハラ」ですが(カスハラの説明は必要ですか?カスタマーハラスメントの略です。お客様の立場を利用して、理不尽な要求をすることです)事業所や役所に無茶なクレームや要求をしておいて、叶わなければ「怒鳴る」「拘束する」「長時間妨害をする」等の事例が頻発し、条例や社内規定でその様な事態には明確に拒否の姿勢を示すことを決めるところが増加中と聞きます。
当然だと思います。遅過ぎたくらいだと思います。もっと早くに対応していたら、ここまでエスカレートしなかったかも知れません。
カスハラの考え方としては『第三者に理不尽な要求をすること』は全て定義に入れるそうです。

私が度々、言葉の定義や言葉の意味を理解せずに「自分の感覚・感情だけ」で社会に潜んでいる人が多い話はしてきましたが、ここで質問です。
【理不尽な】とありますが、理不尽とは何でしょう?
辞書には(;道理をわきまえない事。道理と違う事をする事)とありますが、その前に、前述した『権利のみの日本人』は道理を理解されているのでしょうか?「感情」や「損」「得」「楽」で価値判断をされている方々に私たちがいくら「違いますよ」とお話ししても、「何〜に!失礼な!偉そうに!」と火に油を注がなければ良いのですが・・・。

他の業種のことは分かりませんが、教育関係の理不尽の多くは、「指示に従わない」「宿題をして来ない」「公式や単語を覚えない」のに、それを注意すると「月謝を払ってるんだから、何とかしてよ」「何か月も高い金を取りながら成績が上がらない」となり、SNSの口コミに「ここはダメ」と投稿され星が減ることです。逆に生徒がいくら従わなくても注意もせず、保護者のご機嫌をとっている学校や塾は星が増えるのは何でかなぁ?
「ほら、やっぱり私は間違って無いでしょ」のお言葉(捨て台詞が多かったですが)通りでしょうか?