[2024年5月31日]
仕事も勉強も苦手(出来ない)な人(生徒も保護者も)の多くに話を聞くと「あっ、そこ苦手だった」「そこ、嫌いだった」「訳分からんかったから放っといた」と言われる事が多いです。
「放っといたら何とかなりましたか?」と、お尋ねすると「はい、何とか成りました」と言われる方が多く、「後で死ぬほど苦労したので、必死で勉強し直しました」と言われる方が少数ですが居られました。
勉強なんて一生です。学ぶ行為は一生続きます。学校を卒業してしまえば、もう何にも新しく学ぶ必要は無いのですか?「もう、これで良い」「何かこんな感じ」「多分、これぐらい」でも学校は卒業できたでしょう。しかし、学びは死ぬまで続くのです。
学生時代に「何か・・・」「多分・・・」「これなら・・・」が当り前として過ごしてしまったら、その後の人生は、現状に満足して自己過信に従って少し間違った方向に進んでいても気付かずに過ごしてしまいそうです。
実績があり、知識も豊富で立派な方に何かの役員をお願いすると「えっ、私は自信無いです」「私は良く知らないです」「私には荷が重いです」と言われる事が多いです。相応な知識をお持ちなのに、もっともっと高い成功を求める意識をお持ちなので、いつまで経っても「これで良い」が思えないのでしょう。
一方「何か・・・」の方に多いのが「あっ、私分かるよ」「あっ、私出来るよ」「私、やったことある。簡単よ」と簡単に引き受けて頂けます。実態を見ていると、やはり「何かこんな感じよ」「こうしとけば良えんよ」「こんなもんよ」と、ちょっと『????』なことを度々耳にしました。
皆んなが敬遠しがちな職務を引き受けて頂けるのですから、大変有難い方々なのです。これは間違いのない事実です。間違ってもそこを責めているのではありません。
本来の職務と仕事内容を正確にはご存じないのに「何か・・・」「多分・・・」「これなら・・・」と自信を持って進められる考えは、いつ頃手にされたのでしょうか?を話しているのです。
他に、会社で管理職をされている方とも、私の年齢的には度々お話しする機会があります。
義務を果たさず、要望に従ってくれない人ほど、権利や自由を口にするし、初期に許された『既得権』を何年経っても更に求めてきます。
「職務」「業務」「責務」等の【義務】を求めると、「私はやってるのに・・・」「私は出来てるのに・・・」「そんな法律がどこに・・・」的な口答えが更に返ってくるそうです。
やっぱり【学ぶ】って生涯の仕事ですよね。
学生時代から「将来にも使える学び方」をキチンと身に付けておきたいです。
我が教室の基本方針は「人間力が学力に!」と「将来にも使える学び方」です。
受け取る側にとっては一番「鬱陶しい」言葉だと思いますが、大事な事なので、いくら「鬱陶しい」「古臭い」「偉そうなジジイ」と言われても可能な限り続けていきたいと思っています。
こんなこと言うから余計「偉そう」とか「頭おかしい」って言われるのかなぁ(涙)