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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2024年8月4日]

放っとけば・・・20240804

「あ〜っ、面倒臭い!放っとこう!」
近年の生徒たち(成績上位者か一部の躾の厳しい家庭の生徒以外)の多数が口にします。
「放っとく・・・」って何でしょう?どんな心理状態になれば「放っとく・・・」のでしょう?
長年の経験から、出会ったパターンをお話しします。

一番多くて分かり易いのが「今までこれ位で何とかなったから」と「放っといても別に罰は無い」です。
そりゃあ、やるべきことをやらずに通り過ぎられるのだから楽です。
文部科学省のお達しで「自ら進んで学びたい生徒を支援する」の方針に従って、学校の宿題の量やレベルが数年前の3〜5分の1になっています。当然、学校の宿題だけをやっていたのでは「勉強出来ない子」が確定します。その宿題さえもやらずに放置しているのです。
保護者は「宿題やったの?」と聞くべき所を「勉強終わったの?」と間違い発言をした上、チェックもしないので成績不振生徒にとっては放っとき放題が可能な神対応保護者です。
その後、この放っておいた事がバレても、「勉強とクラブは全くの別物でしょ」とか「青春時代にスポーツをしないなんて…」とか「勉強だけが人生では無い」とか「他の子“皆んな”がやってる(持ってる)のに家の子だけが無かったらイジメに遭ったら可哀そう」とか「今日はお父さんが早く返ってくるの。勉強なんかより、家族の団欒の方が優先よね。早く準備しなさい。出かけるわよ」等々。
自分の叶えられなかった青春の楽しみや、子どもの為なら何でもしてあげる“優しい親”に憧れておられるのでしょうか?
憲法の三大義務の一つや、学生の最大の義務よりも、生徒が【放っといた】ご褒美に、欲しい物や楽なものを望めば何でも与えてあげたい保護者にも問題があるのでは・・・?

もちろん、学校の先生は宿題を忘れても、指示した公式や単語を覚えて来なくても怒りません。当然罰もありません。体罰なんてやろうもんなら新聞ネタです。
「生徒の状態や生徒の望みに合わせてやる」「生徒の望むペースでゆっくりと何度でも」「「・・・しなきゃなんてない」「生徒の気持ちに寄り添って」等々の言葉が巷で氾濫しています。
自分を卑下して自分を追い詰めて追い込んで【自殺】以外の選択肢が無くなるほど生徒を全否定することは絶対にダメです。そんなことは私ていどの人間でも分かってます。
しかし、我慢や努力や苦労を経験させずに、先に先に「楽な方法」を与え続けることが子ども達の将来にとって明るい経験になるのでしょうか?
広い世の中には本人は何の努力も我慢もしなくても、お母様も親子のバトルや嫌な思いもせずとも、金銭的にもコネクションも環境的にも将来の受け入れもすべて安泰なものをお持ちならば勉強や我慢など不必要でしょうが、申し訳ございません。私はそのような経験が有りませんので理解できません。

では、具体的に生徒たちがどうやって「放っといた」のかをお話ししましょう。
成績不振生徒は「毎日学校に行ってるもん」「授業時間は黙って座ってるもん」「先生の話は聞いてるもん」「『書け』と言われたものは書いたもん」だから【勉強してるもん】って自信満々で答えてくれます。
「偉い、偉い、小学1年ならね」と答えてあげます。
勉強は「聞く」のも「書く」のも当たり前です。それが終わってから『分かる』『覚えておく』を自分で済ませて初めて【スタートライン】に立ちます。それをしてないと次に学習することが理解できないし利用できないからです。『やれ』と指示したことの30%位だけやって「やってるもん」って生徒が居ますが、だから次の単元が更に出来ないのです。じゃあ指示量を10倍にすると10倍やってくれるのかと言うと逆に限りなくゼロになります。
「やったか?」「やってるか?」と言うと笑顔で「はい」と返事はしてくれますが、後日確認すると「何〜〜にも変わって無い」なんてことも何度も経験しました。「時間切れ」になるまで黙っておくつもりなんですかね。それこそ「人生の時間切れ」にならなければ良いのですが・・・。
出来ないのは先生の教え方が悪い。相手は子どもなんだから・・・と言われる方も居られますが、受験や成績の結果を求めないのであれば生徒の好みに寄り添ってあげることができます。
パッと見て出来ることだけしかやらない生徒が「自分なりに・・・」とか「私の努力を認めてくれない」と言いますし、保護者も「家の子なりに・・・」と言われますが、これから出て行く社会は「・・・なりに」やれば何でも叶うのですかね。
綺麗事をまともに受け取り過ぎな人ほど「何とかなる」「誰かが何とか・・・」と【放っとき】ますよね。