[2024年11月1日]
ひと昔前の「受験戦争」や「24時間闘えますか?」の時代ほどではないですが、学生にとっては進学や受験は常に周りとの競争ですし、社会人になってからも、社内での重要度や他社との競争に勝ち残ることを求められる場面が続きます。
そういった中で「『勝ちたい!』人」が増えていることは、社会経済の将来や学習環境の発展のために素晴らしいことだと思います。
かと言って、負けた人や勝てなかった人はダメだとか、価値が無いなんて全く思ってないですよ。(今まで、散々この手の話をするとすぐにこんな口撃をされてきたので・・・念の為)
では、「勝つため」にはどうすれば良いのでしょう?
「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」と『孫子の兵法』に書いてあるように、まず、相手や周りの「やり方」や「実力」を詳しく見て、自分の「現状」と「やり方」との違いを考えて分析し、その差を埋めるべく努力や練習をすれば良いのですよね。
口で言うのは簡単ですが、これが中々辛い作業なんです。かく言う私も何度も何度も挫折して勝てなかった分類の人間です。
そんな辛いのを覚悟の上で「『勝ちたい!』人」が増えているって聞いて喜んでいたのですが、どうも実状は違うようです。
もちろん、本格的な「勝ち方」を求めて、日々「我武者羅」に「遮二無二」に「必死」で努力や練習を続けている人も居ます。後日、確認すると、そんな人たちは「勝ち」を手にしていました。
私が「あれっ?」「それでは・・・」と感じているのは別パターンの方々です。
それは、『勝ちたい!』気持ちは誰よりも強いのに、『孫子の兵法』は実践しない人達です。
それは何かと言えば、
「そんな事は無い」
「私はやってる」
「クラスの“みんなが”そうだから・・・」
「学校では(お母さんは)これでも許してくれる」
「何とかなる(誰かが何とかしてくれる)」
って、決して自分の不足を認めないし、誰かの“せい”にする生徒たち。
もっと問題(上がらないな)と感じるのは、
「理不尽でも、自分が間違えてても、とにかく他人を『口撃』して留飲を下げる」
「自分の行動を棚に上げて、口コミや井戸端で悪口を吹聴する」
「よく知らないのに、自分や家族への意見は『すべて悪口』として無視してしまう」
「比べる相手の悪口(作り話)を言ってでも、相手を下げて自分が上の様に見せる」
「結果より、『自分の立場』や『聞こえ』だけを守って、勝った気になって満足する」
「何〜に偉そうに。私はお金を払ってるのよ。気持ちよく払いたくなる対応をして」
を日々実践して子どもに見せている人の方が問題では無いでしょうか。
それで、自分の思う「勝ちのゴール」に到達できなかった時には
「まあ、勉強だけがすべてではないから・・・」
「別に出来なくても死ぬ訳じゃないから・・・」と又々傍若無人な納得をしてしまわれるか、
「あの先生(塾)ダメね」と更に口撃が始まります。
最初に戻ります。本気で勝ちたい人は「素直に聞いて実行」して、結果を手にしています。
出来ていない人ほど「実行」より「つもり」が先行しています。
指摘されたら「あぁ、そうなん」と一回だけ素直に聞いて実行すれば、絶対勝てるのにねぇ(涙)