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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2024年11月5日]

塾選びの基準――今昔の比較 20241105

この仕事を始めて、早いもので20年も経過しました。当時、この地域に「塾」と言えば「一斉塾」「集団指導塾」「くもん」くらいしか存在がありませんでした。「個別指導って何?」の説明が最初の仕事でした。当時から「生徒と正面から向き合って間違いを正し、保護者とも色々話し合って、生徒の将来に役立つ指導」をしたいと思っていました(ちょっと大袈裟で独り善がりですね)。
当時からの先生がたも賛同して(本心と信じたいです)頑張って頂きました。

当時も、成績が低い生徒は沢山居ました。しかし、わざわざお金まで払って勉強しに塾に来るのですから、本人も覚悟の上、今までのやり方を修正し我慢を重ねて、確実に成績を上げたいと先生の指示に従っていました。本音で先生と会話し、何とか妥協点を見つけて改善していました。
保護者も、入塾前の説明に大勢お越し頂いて、「きびしいですよ」とか「色々、細かい注文を付けますよ」に対して『当然です』『願ったり叶ったりです』と生徒の「嫌じゃあ」とか「先生が怒る」に対しても『あんたが先生の言うようにせんけぇじゃろ。あんたが悪い』とお家でフォローして頂けていました。
不登校の生徒も居ましたが、数回来ただけで嫌がった時には、車で無理にでも連れて来られていました。お陰でその生徒は、クラブにも入り友達もでき、大学にも行ってくれました。
もちろん、全員が成績上昇してくれたわけではありません。
意地や信念を持って反発し、決して宿題はやって来なかった「ど根性生徒」も居ました。
当時から「子どもの・・・」「子どもが・・・」「親は仕事で・・・」と【出来なくなるだろうなの対応】や【過剰なきれいごと】の態度を示されていた家庭の生徒は、残念ながら「中々結果に・・・」もありました。しかし、それは少数派で、「あんなに叱ったのに、今から思い出すと素直だったよなぁ」の生徒が多かったです。
厳しく指導もしましたが、生徒も保護者も本気で正面から「辛くても変わりたい」と向き合ってくれました。その証拠に、当時、叱っても叱っても耐えて結果を掴んでくれた生徒は、大学や社会人になっても時々遊びに来てくれます。

時代は変遷し、平成の終盤から近年。つまり、ここ数年の話です。

色んな保護者やお母様がたに意見や考えを聞く機会があると出来るだけ拝聴してきました。
塾選びの基準を聞いた時に「あ〜ぁ、でしょうね!」と愕然と同時に落胆を覚えました。
「新しい」「有名」「最新のパソコン・IT機器」「優しい」「叱らない」「宿題が無い」「子どもの納得する(嫌がらない)教え方」「子どもの意見を尊重してくれる」等々でした。

後半の「叱ら・・・」から「・・・尊重してくれる」に至っては、結果が出ている生徒(現在の小・中学では2割程度)なら納得ですし、非常に嬉しいことですが、結果が出ている生徒や保護者はこんな発言はされません。これらの発言はほとんど結果が出せていない生徒と保護者です。
小学・中学になっても幼稚園並みの「優しく」とか「自由」とか「無限の可能性」の言葉の下で『好きなように(悪い言い方をすると放置)』させてきた結果で、問題が表面化していても生徒本人も保護者も我慢や修正がきかなくなっているのでしょう。
改めて気付かれた保護者が『厳しく注意して頂けるって聞いて連れてきました。何卒よろしくお願いします』と入塾されても、昔と違うのは親子の会話です。
近年、よく起こるのが、問題点が見つかって生徒に今後のやり方や改善箇所を具体的に指示して2〜4か月。突然、保護者がお越しになられて「今日でやめます」です。
事情と経緯をお聞きすると、生徒が「私を分かってくれない。私を悪くばかり言う。だからもう行かない」 保護者「と、言った後、いくらお願いしても動いてくれないので、仕方無いです」「そう?じゃあ他に変わる?」って言うとやっと動いてくれたので・・・。 何でお願い?
これって、おもちゃ売り場で駄々捏ねて居る3歳児と同じですよね。
「子どもが自分で選んだ塾が、この子にとって最適な塾」も度々聞きます。そりゃあ、生徒は楽で変化しなくてもよい所を【あえて】選びますよね。
子どもの将来の為の我慢・素直・継続の訓練とその結果の成績より、【無理してでも塾に通わせた】気持ちと形、子どものプライドの方が基準になってるんだなぁと感じました。