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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2024年12月16日]

「私は・・・」「家の子は・・・」20241216

生徒が度々口にするセリフです。

「私は、言われたようにやっている」
「私は間違っていない」
「私は分かっている」
「私は知っている」
「私は悪くない」
「私のやり方は間違っていない」
「私の頑張りを分かってくれない」
「私は先生の話をキチンと聞いている」
「私は宿題をキチンとしている」

また、それらを口にする生徒の保護者が度々口にされるセリフです。

「私はキチンとやってます」
「私のやり方は間違っていないです」
「私は子どもの事は完全に分かっています」
「私は知っています」
「私のやり方が悪いって言うんですか」
「私の対応が間違っているって言うんですか」
「家の子をもっと分かってやって下さい」
「私はちゃんと聞きました」
「私は、いつも言っているんですけどねぇ…」
「私はキチンと対応しています」

これらのセリフの個々について良し悪しのコメントをすることはできませんが、長年の経験上のお話しをします。

成績優秀生徒や成績急上昇生徒、そしてその保護者様は殆ど使われないセリフです。

勉強だけで無く、これからの長い人生において学び続けることは必要ですが【前記セリフ】は『頂上』『ゴール』『終了』『完全』の状態を意識されている内容のように聞こえます。

自己を守って生きていくことは必要ですが、新しいことや改善方法を全く受け入れずに、今の自己を守り続けることで大きく変化する今後の長い人生に対処できるのでしょうか?

子どもを守ってやることは保護者の責任でしょう。
しかし、何も経験や苦労や我慢をさせずに、『最強の鎧』を着せてやって保護者の手の中で子どもの思い通りにさせることが守ってやることなのでしょうか?結果は不問なのでしょうか?

「人それぞれ」「各家庭の自由」「個人個人の性格や価値観」って言われればその通りです。
私がとやかく口を出せるレベルではありません。

しかし、求められる結果は個々の価値観とは違う世間相対的な価値観「成績」とか「合格」とか「成長」です。ならば、「完全にロボットや奴隷になれ」とは言いませんが、ある程度は世間の価値観と相対的に見比べて修正する必要が大切なのでは・・・?
月謝を頂いて「成績上昇」を希望されてお預かりした大切な生徒たちです。大切な「ご縁」です。
今は苦しくて泣いてしまっても、数年後には、その生徒の笑顔が見たいのです。
『人間力が学力に!』です。