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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2024年12月23日]

わかったつもり 20241223

最近、西林克彦先生著の「わかったつもり」と言う本を見つけました。
先生は、文章の読解についての専門家なので、読解力についての内容を書かれています。

大筋を言うと(言っても良いのかな?先生、ごめんなさい)、簡単な文章は、さらっと流し読みをしただけで結果は別として分かった気になる。
複雑な文章でも文法のルールが理解出来ていれば必ず「わかる」
人には「わかる」「わかったつもり」「わからない」がある。
もちろん、「わかる」が理想だが、「わからない」がおこることは仕方ない。一番問題なのは「わかったつもり」だと。「わからない」よりも問題だと。
わからなければ、「再度見直し」たり「聞いた」り「調べた」りするが、『わかったつもり』は本人は【完璧】と自負しているので決して調べないし聞かないし修正もしない。当然のように放っておく。最悪だと。

これを勉強に置き換えて地元の小・中学校で考えてみます。
以前から何度も何度もお話ししていますように、現在の地元小中学校の授業は「出来て当然」「分かって当然」「テストで満点取れて当然」の授業です。
と、言うことは小学校で90点、中学校で80点以下の得点は正しいのでしょうか?
正しいやり方や正しい努力をしていれば、正しい結果が出ているはずではないでしょうか?
ましてや、小学校で80点、中学校で60点を取っておいて、自分のやり方に間違った自信を持っている生徒に、たかだか3・4か月で偏差値を20も上げることなど「???」以外に申し上げられません。
実際には「分かっていない」のに、「何かこんな感じ」「多分こんな感じ」と【わかったつもり】が当り前のようになっていて、そのやり方を過信して続けてきた結果ではないでしょうか?

最近では、「人それぞれ」「各人の自由だ」「個々を認めろ」等の風潮の中で、勉強以外でも、大人でも子どもでも「私は、分かっている」「「私は、知っている」「私は、やっている」「私は、出来ている」「私は、間違って無い」「私は・・・」「私は・・・」と、周りを確認することや周りの意見を聞くことを必要としないどころか、自分の意見をキチンと主張すること“こそ”『新しい時代の形』と勘違いされている方が多く居られると感じます。
「わかったつもり」だけでは無く、「分かった気」「やってるつもり」「出来てる気」「出来てるつもり」等の「とにかく私を・・・」が増えていると感じているのは私だけでしょうか?

「聞けば・・・」「習えば・・・」「教えてもらえば・・・」「行けば・・・」「行かせれば・・・」「その内に・・・」「やらないよりは・・・」を言われる方が居られますが、勉強も社会生活も同じです。それでは正しい『わかった』は手に入り難いと思います。
もっと主張の強い方は「私(保護者)の若い頃は・・・」「勉強が全てでは無い」まで主張されます。
何を求めて《“学習”塾》へ?

結局「わかった」は、【素直にルールと指摘を受け入れて】「見たり」「聞いたり」「読んだり」した結果に得られるものだと思います。