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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2025年1月11日]

「そんなことはない」「私は分かってる」20250111

小学生が「そんなことはない。だって今までこうやってきたもん」
小学生が「わたしはちゃんとやっている。だって学校の先生はこれで良いって」
小学生が「私の勉強のやり方は正しい。このやり方でいっつも“〇”だったもん」
小学生が「この前、間違ったところも、先生の説明で分かったから、次は大丈夫」
中学生が「学校のテストで平均点位だから私は普通。私のやり方は正しい」
中学生が「私は学校で上位。だから高校は〇〇に行って、大学は国立の◇◇が安泰」
高校生が「中学では授業のノートを完璧に覚えたらテストで毎回上位。高校もそれで頑張る」
保護者が「家の子は学校で『良く出来る』しか取らない。だから国立の◇◇中学へ・・・」
保護者が「家の子は学校のテストは優秀。だから家の子の望むことだけ教えてやって」
保護者が「家の子は素直でやる時にはやるんです。それまではゆっくりと・・・」
保護者が「性格ややり方は個性なので触れないで、勉強だけ言ってやってください」
保護者が「私だって殆ど勉強しませんでしたけど、こうやって普通の大人に成れています」
保護者が「受験に【滑り止め】なんて許しません。気合と根性で絶対に▽▽校へ」
保護者が「勉強が出来ない子は生きてる価値が無いのですか?将来は無いのですか?」

沢山の方々と色んなお話しをさせて頂いて色んな意見や考えをお聞きしています。
私がすべて分かっていて、すべて正しいなんて思っていませんが、沢山の経験や多くの人の実績を見て来て「考え」「行動」「結果」の関係性も学びました。

それは『誰でも自分が経験したり見たり調べた範囲からしか判断材料を持っていない』ということです。そうすると、その範囲内だけですべてを判断してしまうか、その都度周りに意見を求めて判断するかしかないのです。

小学生が「自分の勉強方法は正しい」って言ってたのに中学になって成績下降とか、高校受験しか経験ない保護者が子どもに「あんた、気合と根性で国立大学一本勝負」なんて聞くと複雑な気持ちです。

「勉強が出来ない子は生きてる価値・・・」の意見も正しいです。私も『勉強が全て』『勉強さえ出来れば・・・』なんて思っていません。
勉強の中身なんて、社会人になった時には役に立た無いものも沢山あります。理科や社会は役立つことは多いですが、数学なんて「連立方程式」や「因数分解」「微分・積分」なんて専門家にならない限り役には立ちません。知ってても買い物で割引もしてもらえません。
じゃあ「勉強なんて全くやらなくても良いのか」と言うと、【それは絶対に違います】。
何故なら、勉強が出来た方が「なりたい職業」に近づけます。また、資格試験を受ける時に勉強の方法を知っているので「少しだけ楽」に取れます。
何より社会人になって「新しいこと」「初めてのこと」「分かってなかったこと」を学ぶときに「学び方」や「聞き方」や「使い方」を理解するのが速いです。つまり、会社で『あいつは呑み込みが早いなぁ』と認めてもらえ易いです。

改めて標題にもどります。
誰でも経験したり学んだ範囲からしか判断できません。小学生が「私は正しい。これからもずっとこのやり方で・・・」なんてあり得ないのです。
大人も同様です。経験が無いのに、全部「分かった気」「分かってるつもり」が多いのです。
この事実だけは認識しておいた方が・・・。あっ、私のことでしたか?ごめんなさい(ペコリ)