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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2025年1月17日]

何がそこまで違えさせるのかな?20250117

私も、仕事として生徒たちに色々注意したり指示したりしますし、時には保護者にも勘違いの訂正をさせて頂くこともあります。
過去20年の塾経営の経験と、しばらく学校現場に参加させて頂いた経験から、生徒たちの実態や問題点、現状の行動が数年後の将来に及ぼす影響の予想も出来るようになりました。
しかし、そこで満足してしまっては、私自身が「勘違い野郎」になってしまいますので、定期的に色んな先生のセミナーに参加したり、書籍から現代の教育についての知識を頂いています。

そのセミナーの先生方は全国でセミナーを開催されていますので、全国のことを細かくご存じですし、何が普通で何が問題かも良〜くご存じです。
セミナーの中で「将来の〇〇のためには今から◇◇の訓練が必要ですと保護者に提案すると断る人なんていない」と何度かお聞きしましたし、話し合いや日本語表現能力(国語の点数ではありません)のキチンとしている生徒は必然的に成績は良く、偏差値70以上の生徒は「放っといても」しっかり勉強する。と言われていました。(この地域に何%居るのかなぁ?)

さぁ、ここからが私が疑問に思ったことです。
たとえば、数学のグラフの座標や図形の切り口等、一人で変化を想像しながら問題に取り組むとか、理科の天体やイオンの問題で、途中で「今、何が起こっているのか」を繰り返し演習してみて、一人で『思い付く』練習をするのが勉強です。
しかし、「本人が直ぐ分かるように教えてやって下さい」とか「分からないのなら、解説してやって下さい」とか「タブレットなら動画で分からせてくれるのに・・・」とまで言われてしまいます。
初回だけ分からせる為なら動画も良いでしょうが、その後は問題の文に沿って自分の中で少しずつ動かせる練習が必要なのです。分かったから終わりではないのです。何故なら、本番の入試会場では動画のサポートなんて無いのですから・・・。
「言えば」「聞けば」「習えば」と保育所か小学低学年の授業のように「先生が全部読んで、先生が全部解説して、先生が全部答えまで到達」して生徒はそれを書写したら「まぁ、すごい。良く出来たわねぇ」と花丸をつける授業を【良い授業】と言われる保護者が何と多いことか・・・。
文部科学省や教育委員会の言う「自ら進んで疑問や問題点を見つけ、理論的に科学的に調べて解決する力」とは真反対の【機嫌を取って文句を言わせないようにする授業】を求める生徒・保護者の何と多いことか。
英語にしてもそうです。『点数を上げるために【もっと良いように】教えてやって下さい』と平然と言われる方が居られますが、学校の授業で使われる英単語数は1994年には中・高で2900語程度だったのが、2020年には5000語になっています。単語を『覚える努力』や『覚えておく』努力をせずに【もっと良いように・・・】と言われても・・・。今、言った数は授業で使用する数です。大学入試では更に1500語から2500語が追加で必要だとも言われています。
つまり学校は、最低限の量で、勉強に向かう意識と方法を教えてあげることしかできないのです。そこからは文科省の言うように『自ら進んで学ぶ生徒を応援する』だけなのです。「学校にはキチンと行っている」とか「ノートはキチンと書いている」とか「提出物は全部出している」なんて学校の最低量の典型なのです「学校に行かせてるんだから学校で完璧に・・・」は無いのです。
「小学校では良く出来る方」とか「中学校では平均より上。だから賢い、だから中学受験で〇〇中へ」とか「高校は◇◇高校で、その後は必ず国立の●●大学へ」と平気で私たちに要望(クレーム!)の方が居られます。高校や大学なんて全国との競争です。いくら私たちだけに言われても。
全国的にはこんなクレームなんて殆ど無いらしいんです。どうして、この地域だけ平気で「文句さえ言っとけば何とかなる」とか「塾の先生の指導にクレームを・・・」の風潮が出来てきたのですかね?
何がこの地域と全国との「この違い」を作ったのでしょうか?どなたか教えて下さい。