[2025年3月6日]
「私は今まで、これで何とかなった」
「家の子は今まで、このやり方で何とかなった」
【ここからは、レベルも内容も格段に変わりますよ。意識を変えないと…】
「大丈夫です。何とかなります」
「大丈夫です。家の子は何とかしてくれるはずです」
【このままでは受験の時に困りますよ】
「大丈夫。今まで何とかなったんだから、今度も何とかなる」
「大丈夫。『どうしても』の時には母さんか先生が何とかしてくれるから…」
「大丈夫。その時になれば、家の子はきっとやってくれます」
「学校以外で塾にこんなに通っているんだから、きっと大丈夫。何とかなるはず」
「こんなに〇〇年も通わせてるんだから、絶対に▽▽校ですよ。責任もって下さいよ」
【時間や回数ではなく、やり方や量を意識して下さいね。ギリギリなんだから…】
「分かってるよぉ。やってるよぉ」
「分かってますよ。子どもに聞いたら『チャンとやってる』って言ってます」
その後ギリギリでも合格した生徒
「ほ〜ら、やっぱり私のやり方で何とかなった」
「合格出来たんだから、今度は高校が何とかしてくれるでしょ」
「やっぱり家の子は頑張ってた」
志望校レベルを下げて合格した生徒
「ほ〜ら、やっぱり何でも何とかなるんよ」
「とにかく家の子が行ける学校ができた。何とかなって良かった(責任云々を言われてた方)」
「何とかなる!」って言葉が、私には未だによく分かりません。
「勉強が全て」「学力さえあれば」「ハイレベルに合格さえすれば」なんて、絶対思ってません。
頑張ったから届いた。
理想に向かって我武者羅に頑張った。
目標に向かって自分に正直に努力した。
本人の行動と周りの手伝いの結果が本当に納得できる後悔の無い結果じゃないのかなぁ?
合否が全てでは無いんじゃないのかなぁ?
なのに「何とかなる」「何とかなった」って何なんだろう?
これからも、悩み続けます。